閑人耄語抄No.39

+No.39  日も川も  野辺も果てなし  ももの花
[自註] これは15年ほど前の作である。春の一日は、寒さの厳しさを忘れ、夏の暑さに閉口する前の、幸せな日々である。その頃家族を信濃川の河口の街に残して、首都圏に出稼ぎをしていた。時々の週末には喧騒の大都会を脱出して、花を求めてあちこちをさまよったものだった。
我が眼で捕えた叙景詩だが、「も」重なりが、耳につき過ぎるかもしれない。春の宵は、陽が傾いてからが長く、悠々とした時が過ぎた後に遠慮がちに闇が訪れる。秋のつるべ落としとは対極である。大河のほとりで仰ぎ見る空は、とても大きい。弥彦山系の一峰に草庵を構えた良寛さまが残したという「天上大風」は、越後平野の上空を踏まえて、始めて味わうものかもしれない。山が遠く、眼の前に高層の建造物が無い風景は、気持がいい。
信濃川は、見た目に大きい川だ。平野の真ん中辺で2筋に分かれるが、日本海に注ぐ頃には、再び合流して1本に戻る。これも中流付近まで遡って行って、自分なりに発見したことだが、橋に川の名前を表記してあって、後に地図で確かめて納得した。それまでは、眼にした耕地のスケールからそう思ってなかった。アト知恵で大きな川中島であると補正した。
ついでながら、信濃川は、中流の新潟・長野県境付近で名前が変わる、長野での呼び方は、千曲川<ちくまがわ>である。ところで、川の名前は誰が決めるのだろうか?どのような基準で決められるのだろうか?まあ、それがどうしたと言う程度の疑問だが、以来15年ほど続く宿題である。新潟港は内水と外海の接触面だ、そこに保存される改修工事にかかる古絵図を見た折にも、思い出して探った。大川と書いてあった、この港は、日本有数の大河が2つも港内に注ぐ、これは列島地形では希有な自然事象だ(=現勢は、人口放流口を作り分流されてしまっている)。河川長でトップ、流域面積で利根川に次ぐ大河である。
大河を塞ぐ防水堤もまた、とても大きい。この上に登ると眼下の集落を一望することができる。住居は土手に隠れるように小さく纏まって見える。どこもかしこも桃の花が咲いている。盛りの時は短かい、週末とは重ならない。
花との出逢いもまた、一生に一度の僥倖(ぎょうこう)である。桜よりも『モモの花』のほうが好きである。桃は、団体や喧騒と無縁なのが良い。
この春は、全く我が辞書にない春である。そこで、頭の中の古い「ももの春」を憶い出すこととした。