閑人耄語抄No.33&34

  1. 閑人耄語抄ーこのタイトルはひまじんもうごろくと読みます。

 ついでに『まえがき』です。
 ひまじんのことは、説明不要と云わずに、まあ聞きなさいよ。ヒマとは隙間のことでもあるんだね、一度広辞苑で確認される事です。そう、呆爺(=ほうじいと発音してます)的解釈では、閑とは、空間的、時間的、観念的な隙間、いずれでもあるのだ。そうここでは、社会の隙間のごく狭いスペースに小さくなって目立たないように生きている、まあそんな感じ、それくらいの意味。でも、それは決して惨めであることに繋がりません。呆爺にとって、傍からどう見えるとか、どう見られたいとか、これは古い世間語ではケーワイKYとか言うのかな?つまり他人の眼、つまり自分に対する評価など、もうどうでもよいことにしたいと思っているからです。とは言えなかなかその境地に届いてませんけど、、、まあ大きく脱線したかな?? 時間的には、もちろん、残り少ない余白である僅かな隙間に決ってます。

ソト見は別にして、内なる宇宙は、とても広く括り切れないと想っています。そうです「もんがまえ」のウチに「大木」があるくらい、閑はソト見以上に意外と広いかも。
 もうごのほうは、判り難いと思います。耄碌(=もうろくと発音、意味は老いぼれ。髪の有無によらず=字ヅラでは毛の上に老があるけど、ここでは深読みしない事)した人のコトバを意味します。当然ながらマイナスイメージを排除していません。歯切れが悪いとか、何を言いたいのか意味不明とか、つまり朦朧言(=もうろうげんと発音)を呆爺は、生まれてすぐの頃から生涯に亘って継続して、そのような話し方でした。判りやすい、受け良く話す、ための訓練や努力が不足です。
就職はすなわち雇われることでもなく、雇われることがすなわち卑屈で窮屈な人生を意味する、もう今はそんな暗い時代ではなく、ハンディキャップを背負いつつもオープンに生きることが許される、よい時代になりつつあると感じています。
蛇足です、「ろく」の語はタイトルでは隠れていて見えないだけで、実は呆爺的には存在するんです。
いささか、狂狷附会(=きょうけんふかい、強引なるこじつけ?の意)ですが、それはアトに続く自註にヒントがあります。呆爺の知る限りでは、自註鹿鳴集「じちゅう・ろくめいしゅう」なる歌集?があります。呆爺とは、新潟の縁でのみ重なる人の作ですが、そう、そこに「ろく」があるのだ、、、、
+ No.33 この年は  そぞろ寒さの  彼岸過ぎ
[自註]寒い北の方に生まれ育ったせいか、寒いのは嫌いである。典拠は判らないが、年少の頃に覚えた慣用句かな?
「暑さ寒さも彼岸まで」なる生活訓話?があった。この年=今年に限れば成立たないよう。
メディアが北海道から北陸まで降雪予想を報じている。この週の後半はもう4月だと言うのに、肌寒いことだ。それで暖房器具を連日使っている。需要期を過ぎたはずの灯油も需要期が未だしのガソリンも共にここに来て高騰している。困った事だ。
なお、彼岸とは季語としてのそれでは無いことをお断りしておく。挙げて無知・無学である我が事、それは事実なので隠さずだ。
序でだが、五・七・五<俳句>も三十一文字の方<和歌>も、ともに誰からも習わず、まして独学すらもしていない。だから、決まり事も全く知らない。仮に決まり事があったとしても、当面従う予定もまた無い。似ているようで、俳句でも和歌でもないのだ。

+ No.34 春雨だ  濡れずに帰ろ  百姓ゾイ
[自註]先日彼岸の中日から1週間が経過し、晴れであったこともあって、畑に出た。風は強く寒かった。ジャガイモを急いで植えた。
自家消費専用を掲げて始めた農業だから、無計画に徹している。思いつくまま始めて、気が変るとすぐに放り出す傾向がある。
この日は昼頃に予報どおり雨が降り始めたので、濡れる前に帰路に就いた。春雨でも百姓は、濡れないのである。と百姓見習いである呆爺は想い込んでいる。それをここで表明した次第である。
名前は忘れたが、幕末か明治の初め頃に、綺麗どころと一緒に相合い傘で行くべき所を、あえて濡れて行こうと宣言した、、、まあ、そんなストーリーであったように記憶するとして。ではどうして、そんな方向に話題が転じたのか、背景を述べてみよう。
昨年の総選挙、55年体制の転覆を一部メディアは、「平成維新」とかのフレーズ付きで報じたりしているが、ここに来て、幕末から明治政変期を取上げるドラマが多出する感がある。
それも、この国特有の金太郎飴の切口を一様に押付ける、
或る決った見解に建つ固定的な人物像を描く、それはもちろん歴史とは程遠いと想う、、、
文学的佳作の創造をもって、ブンカ勲章をたぐり寄せたるサバ天狗と、史実とを混同しないようにしたいものである。
と思いつつ、ついつい、生活実務家であるべき百姓こそは、いついずこでも雨に濡れるはずが無いと確信したのだった。
さて、最後に百姓の意味だが、これも本来は無名のものを指すのであって、ストレートにではなく迂回の後農民に至るのだと、
まあ、天気に即した想い込みである。