電気トラブルを考えるの第1分節-第8稿

環境について、思いつく不都合を初稿において幾つか挙げ、その順で書いてきた。八つ目のテーマを感電事故としていたが、この稿では感電に限定せず三つの分節に区分して電気の利用に関連して起るトラブル全般について取上げる。最初の分節では電気全体を、中間分節では水力発電のダム問題を、最後の分節では原子力発電を論ずる。
さて、このNo.8は、電気全体を論ずる最初の分節である。
電気は、気体ではないのに字面に「気」の文字がある。宇宙創世以来存在するエネルギーの一形態だが、見えない、触れられない。その存在を感覚をもって知ることが容易でない存在を表現する時は、「気」を使うのが日本語のリテラシーである。
電気が存在する状態は複雑であって、これがまた一層理解しづらい理由である。有線と無線、重電と弱電、エレクトリックとエレクトロニクスのように、言葉を使い分けるからには、互いに異なるもの、対立しないまでも区分されるべきものがあるように思いがちだ。
とかく電気は判り難いが、ここで気分転換しよう、道路に出てみる。
頭の上に「クモのス」がある。電話線と電力線だ。運営する企業体がそれぞれ異なる。
どちらも電気なのだが、一方は情報ネット=電話線であり、他方はパワーネット=電力線だと言う。
この二つに分かれることをすんなり受入れる事ができる人が、おそらく頭の良い人。筆者には及びも検討もつかない領域だ。
因みに「クモのス」電話線は、従来からある有線の方つまり固定電話を繋いでおり、ケータイデンワ=無線とは別だ。
「クモのス」ネットは、人里離れた山の奥にも。尾根づたいに目立つ送電塔がある。これはパワーネットのみで、情報系には全くない。
固定電話は、コストシビアー?遠距離だと無線に切替え、コストと地震への備えを図りつつメリットを得ている。
ついでだが、パワー系にも無線があるはず。耳新しくもないが、ケータイデンワなどにプラグによらない非接触充電器が知られている。
電気自動車が普及するようになったら、ICチップを活用してのインテリジェントな非接触充電が考えられると言う。
さて、電気が身近なエネルギーとして使われ出したのは、いつのことであろうか?
実は、パワー系もインテリジェント系もほぼ同時に実用化が始まっている。当たり前のことだが、、、
明治からこっちの事である。
電気を利用し始めて日が浅いことが、電気は判り難い、経験不足から来る電気トラブルなどの主な原因であろう。
電気の実用化に貢献した二人の天才が居た。
無線通信のG・マルコーニ(1874〜1937)と発明王のT・エディソン(1847〜1931)である。
ここでは、本稿の主旨からエディソンだけを取上げる。
彼の80年超の生涯で取得した特許は1,300件と言う。
特許にしなかったアイデア段階のものは、その数倍あったであろう。Rダヴィンチ同様に天才エディソンが書残したメモもまた膨大である、その解読と出版公開の作業が、未だに進行途上なのだそうだ。
彼の発明した物に、蓄音機、活動写真がある。独創力に驚かされるが、これはポピュラーな業績だ。
筆者は、実用の面と社会に与えたインパクトの大きさで、白熱電球の発明を取上げたい。
白熱電球の発明(1879)は、暗くない夜つまり現代を開いた。
産業革命に始まる近代の夜は、まだ暗かった。
電気による照明が、当時の社会に与えた影響の大きさ、その意義を理解するために、すこし寄り道をしよう。
日本に開国を迫ったペリーを動かしたものは、太平洋での捕鯨であった。鯨の脂は、産業革命早期の深夜労働に使う夜間照明の燃料であった。ペリーを背後で動かしたものは、産業社会の資本による競争であったのだ。
その捕鯨もしぶしぶ開国が始まり、捕鯨船が眼の前にある日本列島で補給を受けられるようになった頃には、下火になっていた。
地下の油田から機械によって原油を汲上げる産業が始まり、捕鯨のニーズが急速に失われたのだ。
石油ランプやガス灯の時代である。
50年も経ずして、更にそれをひっくり返したのが、エディソンの白熱電球である。
それは単なるモノの発明ではない。新システムが勃興する時にパイオニアを務める者が果たさねばならないすべてのことが事業として成し遂げられた。
発電所の建設、発電機の開発から送電網の構築、末端での使用時のスイッチの開発など、トータルなシステムを作り上げた。
現代では当たり前のことだが、手元スイッチ一つでのオン・オフは至極簡便だ。
石油ランプの苦労から解放されるインパクトは、当時の市民にとって実に大きかった。
極めてハンドリングに優れた電気の出現が、社会を変革した。
エディソンによる電気革命である。電気革命は、日没からの解放であった。
簡単で扱いが楽な照明装置が、電力線と結ぶ事で、かくも安易に、たちまち暗い夜を解き放った。
トータルシステムとしてサービス提供された事に意義があった。
勿論すべてがエディソン一人の業績では無い。会社創業者として、発明集団のリーダーとして、その役割を十分に果たした。
競争相手もまた当然にいて、熾烈であった。
最も有名なのは、ウェスティングハウスと対立した送電方式に関する論争である。
事業モデルとしてエディソンが主導した直流方式は、交流方式に敗北してしまった感がある。
だがしかし、最近の報道によれば、砂漠における太陽エネルギー発電による遠距離大容量電力の送電方式に、直流を採用する方向であるとのこと。
この例で判るように、電気をめぐる科学は、公汎かつ根本的にまだまだ発展途上であるようだ。
照明分野に限っても、白熱電球から、LEDやELなど発熱が少ないか、ほとんど発熱しない発光素子への切替が提唱されている。
このことは単に環境適応性だけでなく、LEDやELの製造方法が従来と全く異なる方法、つまりスリムかつコンパクトなのだが、産業構造の変換をもたらし、経済規模をスケールダウンさせる面からも注目されている。
電気を使うことでの意図せぬ発熱、望まない発熱ロス、これが電気にまつわる科学的属性として避けることができないロスである。
長距離送電には、この属性ロス<約30パーセント>の他に、送電網管理に係る費用つまり経済計算のロスが加算される。
だから送電による実際効率は更に下がる。
ウェスティングハウスとの対立も、つまるところ効率競争によって事業有利性としての答が下されたのであった。
だが、その答はまた、当時における当座の答でしかない。
超伝導物質など、新しい素材が発見される事で、場面は転換し、当座の答もまた意味が薄れるのである。
だからこそ、今眼の前にある事を当為や与件と理解するべきでなく、固定的な事実と受止めてはならないのである。
では質問。送電システムが、始まった頃なくて、今あるものは何でしょうか?
その答はコンピューターである。
当時電信網はあったが、情報を無人で処理するコンピューターが無かった。だから発電所は、一方的に電気を作り、使う場所に向けてひたすら送る。貯蔵できない電気は使わなくても、いずれ消えてしまう。
しかも、作る電気の総量は、いつも使う電気の総量を上回るようにしなければならない。それが運悪く何かの原因で逆転すると、歴史的「大停電」となって、世界に報道される。ニューヨークなど度々あった。入浴中のニューヨーカーが居たら土左衛門になってしまうだろう。ロウソクを買って備えておかないと、オッカナイぞ。
あっ判った。生産と使用の総量管理(=電気総発電量>電気総使用量の不等式を常時維持する重い使命)をコンピューターがやる。
残念ながら、ブーです。
作って一方的に送る、使う方は、これまた一方的にスイッチを入れて一方的に使う。そうなってます、お宅も、、、、我家も。
そのことに、何の不思議も感じないでしょう。慣れてしまうと当たり前。これを鈍感と言わずして、何を無神経と言うべきでしょうか?
それに壁のコンセントにプラグインしたままでしょ、これも慣れから来る鈍感シンドローム3度です。鈍感とは見てるのに見えてない。見えても感じないことです。
あっ判った、待機電力かな。違います。待機電力が環境破壊の一因です。でも、ここでの答ではありません。
もう答えましょう。
作りっ放し、送りっ放し、使いっ放しが、環境破壊に通ずるのです。互いに一方的では、もういけない時代なのです、エディソンさん。
そのこと自体が、電気事故の原因を招きます。
阪神大震災では多くの火災が発生して傷ましい犠牲者が多く出ました。それが1次災害か、それとも2次災害か、原因究明と決着が難しいのです。2次災害の出火原因は、そのほとんどが常時プラグインと激震収束後の給電再開にあります。
最初の地震で器物の落下などで末端電気製品が壊れていたり、スイッチオンされた状態になっていたのでしょう、そこへ無人状態の住宅に給電を再開したら、意図せぬ発火事故が起きる懸念があります。電気を作って送る側は、末端使用の状況が判らないまま、ひたする送ること、それが今のシステムの約束なのですから、、、
そうです。互いにその一方的を、近い将来止めることにしましょう。
できます。意外に簡単です。コンピューターを使えば、とても楽にできます。
すべての電気製品には、定格電気出力など電気特性に関する表示があります。
これにICチップを組合わせて、スイッチオンにしたら、その情報が、まずパワー線を経由して、作って送る側に届けられます。
これは、言わば使用予約の申込電報です。給電会社のセンターコンピューターが自動的に受付処理します。この予約承諾回答もすぐに逆ルートを通って届く、そして電気製品が仕事を始める。すべて無人、ものの1秒も係りません。
これが実現する近い将来には、朝・昼・晩で使用料金も目まぐるしく変動しているでしょう。
電気料のオプション価格を予めセットしておけば、ヘヤードライヤーをスイッチオンしても仕事しないから判ります。とりあえずタオルを使って環境に貢献し、地球と髪の双方に等しく愛を施しましょう。
これが対話方式の電気ルールです。
パワー線とインテリジェント線とを別ける意味も必要も無かったのです。
スマートグリッドと呼ばれるシステムも、おそらくそうなのでしょう。電気を別けて考えない方が簡単で合理的なんだから、、、
災害防止はこうです。
さっきの家電ICチップに、人の動きを自動的に感知する機能を追加して組込みます。送電中にも断続的に自動監視機能を働らかせます。このデータは、給電会社のセンターコンピューターが処理し、判断して個別家電機器ごとの性格を判断して、給電をカットするように働きます。
これで阪神大震災のような災害は回避できます。
ニューヨーカーはこうなれば大停電を怖れずに安心して入浴できます。ロウソク屋とマッチ売りが困るかも?
さて最後に、スマートグリッド=対話方式の電気ルールの導入は、USAで早く実現します。
その理由は給電範囲が狭く、基本的に都市単位だからです。野越え山超えの送電塔建設コスト負担を拒否する住民パワーがちゃんと機能する、さすが民主主義の始まった国です。この給電範囲の狭さが、給電会社のセンターコンピューターを一層活躍させます。国は大きくても電気のスクラムは小さいのです。そのメリットは、太陽発電のシェア増大にともない一層環境適応性に貢献することになります。
とまあ今日はこれまでにしましょう。