Kankyo-7

*森林を考える-第7稿
環境について、思いつく不都合を初稿で多く掲げたが、既にこの稿が7題目である。
掲げたテーマは読者がお考えの環境問題と趣が異なるかも知れない。
異常気象<クライミット・チェンジ>、地球規模の過熱現象<グローヴァル・ヒーティング>など、ビッグスケールの課題は、耳慣れた環境問題だ。
初稿ではストレスを取上げ、身近な皮膚感覚のスケールから始めたが、徐々にステップアップし、ゴールで地球惑星科学を論じてみたいと考えている。
さて、本稿のテーマだが森林である。
地球の表面に達するエネルギーの源泉は、ほとんどすべて太陽である。
端的に言えば、生命にとって危険な太陽の強力なエネルギー放射<太陽風>を和らげてくれているのは、森林すなわち植物の力である。
原始の地球には、眼に見える大きさの生物は、陸上はもちろん海中にも居なかった。
放射線物理学によれば、太陽の年齢(=誕生から現在までの経過時間)も寿命(=恒星として辿る経過とエネルギー放出を失う予定時期)も、ともに想定されている。
地球惑星科学の最近の成果によっても、太陽系の中で生命の存在する惑星は、唯一地球であるとされている。
太陽系の外には、恒星との位置関係において地球と類似する惑星の存在が発見されつつある。
このことから、地球における生命は、極めて稀な存在であると同時に、進化と言う偶然がもたらした「かたち」を保っている事が判る。
人間の姿もまた、森林が創り出した「かたち」であるかもしれない。
生物の中で人類だけが、地球史を通じて森林破壊を行ってきた。
自らが拠って立つ土台を掘り崩し、無くしてしまうような究極の自滅行動なのだが、それを人類による自然制服と吹聴し、互いに競争して自滅のスピードを上げてきた感じだ。
そして、地球が飽和したら地球を脱出して惑星空間に居住すればよい。だから宇宙開発に進むべきであって、森林破壊に邁進してきたこれまでの生き方を改める必要などないのだ。と、、、、果たしてそれで良いのしょうか?
筆者の立場は、既に別稿で述べたとおり、NOです。
宇宙開発などは、錬金術師的財政資金取込策と酷評してます。
さて、異常気象そのものを科学的に定義できますか? 
メディアも異常気象を連発していますが、定義と科学性がおぼつかない。世間受けもさることながら、リーダーとしてあるべき姿は、データを以て、その範囲を画定した上で論議を展開する必要があります。
科学性の根拠が難しいから、COP15が纏まらなかったのかも知れません。
事実、気候変動<クライミット・チェンジ>と過度に大量浪費する経済活動との間には、何らの因果関係が無いと、一部の学者が主張しています。怪獣が地球上全域に分布していた65百万年以前や三内丸山遺跡の時代(4〜5千年前)は、気温が今よりも暖かだったことが判明しています。
とまあ、ビッグスケールの課題には、不確定な要素が多いのです。気温上昇だけが、問題なのではなく、人口の爆発的増加=これは生物の中のある種のみが異常に繁栄する異常事態です。生物多様性こそが、生物共通のコピーシステムが到達した叡智であって、人がやって来た事は、それに対する重大で深刻な反抗であり、生物界全体を破滅に導く愚かな挑戦なのです。
肉を食べたい、ペットを飼いたい、子孫を殖やして一族の繁栄を乞い願う、その身近な、ある意味で素朴な願いは、大陸規模の森林破壊と繋がっています。異常な長距離の移動も、自由貿易を当為と主張するビジネス理念も、物事の一面だけしか見ようとしない偏った姿勢です。
景気を採るか、環境を選ぶかといった二者択一の単線指向でも困ります。もっと多面的・多角的に、しかも科学合理性に立ち、見えない面、見せないように巧妙に隠されている面にも光を当て、長い歴史時間での理解に至るべきです。
森林破壊は、人類が二本足歩行を始め、手が器用になり、火を扱う、金属を支配するようになったことと、おそらく関係しているでしょう。つまり人間がプラスと信じて疑わない技術の進化が、森林の存在をプラスと考える人にとっては、マイナス評価に見えるのです。これは、「人間中心の科学」と『人間を自然の一員とみなし生物全体のための科学』との違いから生じた見解の対立と言えるでしょう。
生命誌なる言葉があります。【地球中心の科学】に、限りなく近い学問であると筆者は考えています。なお、地球中心の科学もまた、J・ラヴロックの「ガイア理論」について受けた筆者なりのイメージです。詳細は、The Vanishing Face of Gaia<2009英国刊行>を参照願います。
生物が生きられる環境を創り出したのは植物です。動物は、植物によって生かされているのです。海から陸に上がったのは、まず植物で、植物が作った環境に後から来た動物が便乗したのです。
便乗とは、あらゆる動物の食糧源が植物に行き着くことや、太陽のエネルギーをいろいろ変換して幹や枝や葉っぱなど形あるモノに変えるのも植物の働きであることを示してます。
地表に水があるのは、植物が森林を形成したからであって、水のある所に植物が生えたのではありません。森林破壊した所は、忽ちに乾燥した大地に戻ってしまいます。植生を回復させるには、何十年と時間が係ります。
現代の経済学や会計学は、失った自然を原状回復するための費用と要した時間との積をもって産出される金額を環境価値とみなす考え方を欠いています。それが、現在の企業活動や社会科学の限界でもあります。
実業界には、金額計算されたものしか受付けない狭い了見が蔓延しています。
その意味でも、環境の価値を可視化する、新しい社会科学の構築が必要なのです。
社会科学のロコモーションは経済学であり、中でも経済哲学ですから、この分野の新思想の出現、体系化を希望します。
生物の王者であり、すべての生物を浮かべる役割を果たしている植物が、完成された理想・究極のカタチとして示しているのが、熱帯雨林や温帯照葉樹林やタイガです。
これらの森林を破壊しているのが人間です。人口拡大のためと増えてしまった人口の維持のために、森を焼いて農地に変えています。
飢餓を解決するためでなく、ペットを飼い養うためであり、肉を食べたい欲望のためです。肉を食べる事は、明らかな穀類の浪費です。迂回生産なる言葉をご存知でしょう。穀物を直接食べても人は生きられますが、それを牛に与えて<=ここが迂回ルート>肉にすると、直接だと7人が養える穀物を使って1人分の肉しか生産できないのです。だから、森林が必要以上に伐られる。これが、今私たちが支持する経済の仕組なのです。複雑にして大きくするから、見えなくなってしまう。でも、人が作った仕組は、人が変える事が出来ます。この場合のカエルは、戻すこと。農地を森林に還すと言うことです。
最後に、日本人の好きなピラミッドの話をします。もし、知っていたらご免なさい。
今その廻りは砂の海ですが、その昔は緑に囲まれていたそうです。
証拠は、地層の中から、プラント・オパールが出て来るのだとか、、、これも詳細は、総合地球環境科学研究所<略称=地球研>副所長の佐藤洋一郎教授の著書にあった。これは記憶、蔵書に見つからないので悪しからず、、、、
つまり、ここで言いたい事は、人間の廻りは、自然破壊の痕跡だらけなのだと、、、