Kankyo-3

*病気を考える-第3稿
環境について、思いつく不都合を初稿で幾つか挙げたが、3つ目のテーマは病気であった。
と言っても、筆者は医学を修めた者ではない。よって、ここでは環境と医学を結ぶ最高最大のテーマとしての人口膨張を取上げるべきであろうが、前稿のキズの後段で軽く触れたので、再論はしない。
よってここでは、社会の病理について考えてみたい。浅学早慮の常で、まず広辞苑で社会病理学なる言葉があるかどうかを調べてみた。我が手元の版には、見出語がなかった。あったのは、社会心理学=個人や集団がどのように行動するかを研究する学問。これもまた残念ながら筆者には初耳のタイトルである。
ここでキーワードを掲げておこう。政治思想、経済原理、科学・学問用語、国民性の根底にある地政学などなど。
さて、環境の一分野として「社会の病気」を考えることを始めよう。
現代は、移動を前提とした定住生活の時代である、このことが環境と人口膨張とを招いた主な元凶である、と筆者は考えている。
まず移動を次いで定住の順に取上げるが、この二つはタマゴとニワトリの関係であることを覚えておいて欲しい。
移動の手段は、この百年は主にクルマ、更にその前の百年は鉄道であった。鉄屋、鉄女なるコトバがあるそうだが、サッチャー女史のことではない。かと言ってクルマを拒否する趣旨のマニアでもないとか、、、
つまり、公共交通システムとしての移動が出現したのは、せいぜいこの200年でしかない。従って、排ガスによる環境汚染も交通戦争も交通事故を必要悪と考えるような欺瞞も含め、そもそもヒトの口に上る話題たりえなかったのだ。
クルマ。マイカー利用が公共交通であるかどうかは判然としないが、公共経済の主要な課題であると認識するヒトが多くなっているらしい。筆者の立場は異なるが、一応論じておく。
クルマの販売が不振なのだそうだ。
政治と経済が接近する事態が異常であると想う識者は、このところ急速に消えたせいか、財・政・官の癒着エリート・マフィアは挙げて、クルマの販売不振による景気回復の遅延を懸念していると聞く。景気を経済活動の活発および過熱と措定すれば、若者がクルマを買わないのは、景気よりも環境を選んでいる賢明な消費行動であることの反映でこそある。
また、一説に買えないのだとの見方、これも一理ある。
クルマは産業社会の終局段階に出現した花形商品でしかない。現代は情報革命の黎明期であり、若者は常に時代の先取り、先導役を果たす存在と考えれば、この現象は一過性の事象ではないことになる。
言換えよう。来るべき情報社会では、産業社会に比べて格段に移動ニーズが低下するであろう。
さて、ここまで近未来のことを言い切ってしまうと、反論があるだろう。
特に地価の高い大都会の中心に住む高所得エリートからの強い反発が、、、、そこで、定住のことに移ろう。
都会が農村に比べて。人口の大きい都会の方が、より小さいそれに比べて。同じ大都会でも中心部が、縁辺部よりも。地価が高いことを経験則として、理解しているヒトが多いであろう。
この国民的常識に近い見解を否定することは、世間を狭くしそうだ。
時にムラハチブ扱いを受ける虞れ無しとしない。
ここで先に掲げたキーワードの最後の語を概説するのだが、
ムラハチブは、民主主義の多数決原理に似た面もあるが、社会的交際を拒絶する点では事実上の生存の否定つまり抹殺と同義である。
その効果は、シマグニであるからこそ恐怖の度は高く、タブーとしての拘束規範の価値を増す。
その点大陸では、船と言う格別の渡海手段や航海技術が無くとも、自らの足で陸伝いに移動亡命することが可能である。
島嶼がすべて万事窮すとなる訳ではない。
シマグニでも一時退避するサンクチュアリを備える例がある。ハワイイ島にホナウナウと呼ばれるオープンな区画割り地がある。
それらしい。
この国にも、鎌倉や三春にある寺がそのような機能を果たしたとのことだが、、、
高貴な姫君の出家落飾を機縁に、女の側からする離婚を救済した程度であれば、限定的かつ狭範囲に過ぎて、ヒュウマニズム・サンクチュアリとは呼べない。
戻って、地価の高低に関する常識を考えよう。
キーワードは政治思想、経済原理が該当である。
縄文期の人口密集集落、三内丸山遺跡は、当時のつまり縄文海進期の海岸線近くに立地したと言う。
その当時銀座や丸の内は水面下であった。銀座は東京ウォーターフロントの第1号干拓造成地でもある。
因に政令指定都市のほとんどが、過去400年の間に新たに世に出た街である。
街を作り出した原動力が、定住を選択する人間の意志の集合であったのだ。
地価の高低は、移動距離や移動時間や移動に伴うコストの相関関数である。そう、ここまで考えてくれば、都会に定住して運ばれる食糧やサービスなどに立脚する現代生活が、産業社会固有の条件であることに納得して頂けるのではないだろうか?鉄道であれ、マイカーであれ、移動して通勤する暮らしは、産業革命以前には、見られなかった社会現象であった。では、定住する以前は、どうしていたか?その答は簡単である。
生活の糧のある土地に接近して分散居住したり、移住を断続的に繰返していたのである。
現代の言葉では、地産地消とかフードマイレージカーボンオフセットとか言う。古く、身土不二、一里四方などが同義語であろうか?
冒頭に触れた移動と定住の関係は、要するに人が動くか、人は動かずにモノを動かすか、どちらを選ぶかであって、後世に出現した価値観なり、生活スタイルなりを、与件として固定的に捕われるべきでない。より合理的な方法を自由に選べばよいのである。
来るべき情報社会は、ユビキタスの時代であって、消費の基本サービスは、格別な技術でも隠された科学情報でもない。電気や都市ガスなどの基本エネルギー・サービスや上水道・下水道などのインフラもまた、集住を不可欠の条件としない技術だ。
大都市のみを高度サービスが受けられる地域と信じ込ませようとする仕掛が、実は隠されていた。そのような政治思想、経済原理を資本主義市場競争理論と言う。
ここでその詳細を述べることはしないが、ヒントを2つ示して、本稿を閉じることとしよう。
まず、貨幣について、おカネの経済は、その利用が国全体つまり農村まで浸透したのは、文化文政の頃だと言う。約200年前、それまでモノに直結していた経済が、貨幣を仲立ちにすることでモノを二次的に扱える経済に変質した。この変質は断絶的変化であって、連続と解するべきではない。この大変化が倒幕の主な原因となったと考えている。
最後に、資本主義市場競争理論なる仕掛に迫るヒントについて、自然淘汰でなく経済淘汰によって人口過剰による過当競争を招く時代に、競争原理が、生産システムを大きくすることと複雑にすることにすり替えられたのであった。これをより詳細に知りたいと想う場合は、〔近代世界システム〕著者=イマニュエル・ウォーラーステインに関する著書を参照されたい。彼は、資本主義が成立する原理は、中核と周辺を常に作り出し、その間の隔差を拡げてゆくことにあると述べていたように記憶する。