Kankyo-2

*キズを考えるー第2稿
 環境について、想いつく不都合を先稿で幾つか挙げたが、二つ目のテーマはキズであった。
皮膚の擦過傷は、人類特有の課題であろうか?動物と人間を対置する考え方がある。この場合の対置とは、動物の範疇にヒトを含めないことなのだが、最近のほぼ50年の遺伝子学説の確定にもかかわらず、宗教は依然として勢力を保っている。もちろん、先稿で述べたとおり、科学上の知識は、完全性を求めて形成されつつある部分知であり、宗教とどう係わるのか?それとも係らないのかもよく判らない。
USA50州のうち約3割の州が、未だに学校で進化論を教えることを禁じているそうだ。しかもかの国は裁判の盛んに行われる土地柄で、解雇された教師が訴訟を起こし身分回復を求めたが、州の最高裁判所段階までは敗訴だと報じていた。ヒトゲノムの解読が完了した今日でも、聖書に書いている事=それは、人と人以外の生き物とは別々に創造されたこと=に忠実でありたいとする心情はさておき、科学的に証明が出来ず、証明になじまない信仰のことが、法によって保護されるべきであろうか?詳細は不明ながら連邦裁判ではどうなることだろうか?
さて、体表面に毛がない猿は、怪我が多いに違いない。人類以外に毛の無い動物はいるのだろうか?ヒトの病気に象皮病があるが、当の象に見てくれはどうであれ、体毛は存在するのだから、実にはた迷惑である。
ヒトの体表から毛が失われたのは、進化の一面であるに違いないが、ここで使う進化の意味は、単なる環境適応であってプラスの価値観は全く含んでない。次にここで言う環境についても、プラスの価値観もマイナスの価値観も含ませるべきでないと考える。
因に、広辞苑には、evolution。進歩し発展すること。反対語=退化とある。
ここからは、著者の見解だが、進歩・発展の言葉にはプラスに向う価値観の方向が折込まれている。仮に想定上の目標では、プラスを志向したが結果としてそうならないで逆の成果に行き着く、それが人為なのである。
卑近な例では法律の例だが、一部改正と言うタイトルで国会に上程されるが中身をよく吟味すると財政事情を反映していて、国民に犠牲を強いる方向での変更であるとか、、、法を施行してある程度の時間を経過した後、想わぬ方向に社会が大きく変化したことが判明する。そんな例は枚挙にいとまない。
自然科学の例も多々ある。冷媒のフロンが出現した時に、多くの専門家が絶賛したが、相当期間経過した後にオゾンホールとの因果関係から製造禁止となった。PCB、環境ホルモン、除草剤、殺虫剤などなど、ヒトが選択してある状況から、新たなる別の環境状況に移行する場合、それが果たして意図した以上にプラスの結果になったか、予期せぬ大幅マイナスになったかは、相当長期的観点で検証する必要があると考えたい。
いささか、遠い回り道をしたが、ヒトは間違いをする存在であること。アセスメント<=事前評価としての環境調査>なども、もちろん必要ではあるが、将来の予測について、科学に神話の要素を持込むべきでないことを忘れてはならない。
優生学とか、霊長類とか、益鳥・害虫など、これまで筆者が学校で習い覚え、本を読んで得た知識の中には、用語の使い方のガードが低いものが多くあった。ここで思い出すのは、昭和天皇の「雑草、そんなものは無いよ」なる発言である。広辞苑によれば、「雑」の意味は一つではない。3番目くらいに役に立たないものと言う意味もあるから、ヒロヒトサンがそれを否定するべく指摘したのであれば、科学者として妥当な見解の持主であったように想う。
当初は自然の洞窟などで、その後手を使って住居を作ることで、雨や風から身を守るようになり、寒さも衣類の発明や火を使って暖を採るようになって、長い間に人体の表面から毛は消えた。
裸の猿を個体レベルで、毛深い、毛が薄いなどの議論にどれほどの意味があるのだろうか?さて、先述の断りを一旦置いて、進化はプラスを、退化はマイナスを、それぞれの価値を帯びるとしよう。一般に女性が薄く=より進化レベルが高く。男性が濃い=より進化レベルが低い。のではなかろうか?
ただ、ことの性質上、立入って調査する訳には行かない。警察の風紀犯罪取締の世話になる訳に行かないので、あくまでも想定の上でのことだが、、、そこで議論を進めると、毛が薄い方が擦過傷が出来やすく、より重大なダメージを受けやすい。つまり、より進化レベルが高い女性の方が損な役回りである。さて、ここからが環境問題の複雑で、どこまで行っても偶然と縁が切れない所以である。女性の方が、体型がより円く、運動能力が抑制的で、より脂肪蓄積が多いなどなど、十分にハンディを補うべく社会的分担を巧妙に回避して、上手に生きている。その結果として、死亡率も低く、平均余命もまた高い。つまりより賢い生き方を体現することで、進化レベルが高いことを統計医学的に証明していると言えよう。
長寿は、プラスの人生教訓であることを否定するヒトはあまりいないと想う。
しかし、そのことが、若者の就職市場を圧迫し、医療保険と年金保険の資金破綻の一因でもある。長寿と手厚い医療とは、人口爆増の主たる原因であり、人口削減こそが環境問題の最高かつ最大の解決策なのである。