じじぃばくだんNo.5<爺ぃ獏談>

トラの話
過ぎた年は牛、年明けてトラ。と言っても、日本列島には、トラは居ないのだから不思議だ。
マンモス象は居たらしいが、未だトラの化石は発見されてない。考古学はある日突然の発掘をもってコペルニクス的に展開する暫定レコードでしかない。考古発掘も含めて庶民には歴史周辺だが、この国のエリート層では、どうもそうで無いらしい。教えられた通りに一言半句ディジタル的オウム返しでないと試験の点数にはならないのだそうだ。
その昔、国の検定教科書に忠実な教師が居た。新聞など読むんじゃないと、訓示を垂れていた。卒業後かなり経ってから、たまたま同窓の旧学に出逢った。その際に、彼の回顧談をしたら、ああ、あの指導要領棒読みデクノボウか、と来た。教員の家庭に育ったA君は、庶民のオラと異なって、ウラの世界とも言うべき、アンチョコにも長けていたのだった。
さて、昨年は、松本清張生誕百年とのことで、映画・TVでだが、何度かアクセスした。
そして、今年は安保50年に当る。
この二つが、どう関連があるのか?
実はある。
昨年は、日米密約問題がひっくり返った。これは隠され、仕組まれた陰謀についてのコペルニクス的展開の候補である。
ここにまた、何で話が飛ぶんだ???と、お腹立ちであろう。
そう、知らない事は、ある意味幸せであるのだ。大勢の見解はこうだ。知らない事と知ろうとしない分には、責められない。よって、無知こそが、自己保身の秘訣なのである。これをニッポンの常識。清く正しい幸せの神のクニ原理とも言う。但しオラの言葉ではない。
国の外では、上記のように「知らない人」を一言 ” 愚民 ” と呼ぶ。世界の非常識と言われるのは、実はこれかも、、、、、
まず結論をキーワードとして掲げよう。これは以下を読む患いを避けられるようエリートに向けてのサービス・スピリットである。
この国の指導的行動原理は、スリー・モンキーイズムに尽きる。日光の陽明門にあるグランドデザインモチーフだ。
さて、これから本筋である。
因に清張シリーズが描く時代は、ここで言う原初安保の頃の風景であろう。
原初安保は1951年に調印された。推進者はヤスダ=時の保守党首。改定安保は1960年に調印され、推進者はケシ、発効の直後に退陣した。
映像の中でショックだったのは、MP<米軍憲兵>の指図を受けて動く警察集団の姿であった。
嫌気を感じたのか、警察官を辞めてゆく男のドラマもあった。同胞に向っては、トラ(米軍)の威を借って威張るキツネ。他方では、米軍関係者が同胞に向って暴力行為に及んでも手が出せない、無力な警察集団。この二枚舌、二律背反を国民監視の下で演じ分けるには、鉄仮面なのか?二重人格者であるべきなのか?オラには到底理解できない。
日米行政協定なる法律があって、そうなっているとのこと。日米安全保障協定と同時に制定施行された。「行政法」なるタイトルからして国内法規なのであろうが、何故に国内法を外国USAと協定する必要があるのだろうか? 独立国とは名ばかりで、これこそ世界の非常識かな。
ここの記述は、過去形表現ではないことに注意して欲しい。
庶民の患いの元凶である米軍も未だ国内に駐留している。行政協定もまた現行法規である。どちらかが消えれば、災わいは無くなるのだが、、、
沖縄、佐世保、横須賀には近づかない<但し、これは今現在の主要基地配置。1959年頃5万人超が国内に駐留>ようにするか? これは、スリー・モンキーイズム以上に賢い?「自己規制」であるかもしれない。
密約問題も、聞かなかった、見なかったことにして、何も言わない事にする。おそらく、密約は、沖縄返還、核持ち込み以前から、存在していたに違いない。知られてないからこそ密約なのであり、その始まりは、1951年9月調印のサンフランシスコ講和にあるのではないか?
この手の二枚舌の発明・元祖・総本家は、ヤスダサギルの専売特許と言う説もあるらしい。彼の政治業績が再評価されるべき時期は到来するのであろうか?
因に、サンフランシスコ講和条約は、所謂全面講和ではなく単独講和だと異を唱えるものがあった。調印の翌月=1951年10月象徴天皇が地方巡幸の折に京大を訪問した際のことであった。この良心的学問の府は、愚民の外にあるかもしれない。
警官隊が大学構内に突入した。決着とされてしまった。
当時のマスメディアは、こぞって長いものに巻かれ、強いものになびいた。京大抗議とも呼ばれる平和希求の動きは、「世紀の不祥事」とか、「AHOな赤」とか、「エチケットを弁えない若者」とか活字メディアに散々に非難された。そう言えば、ショウチョウさまは僅か6年ほど遡れば「生きている神」だったし、警察を動かせるのは二枚舌のヤスダサギルであった。
長いもの、強いもの同志は、結束が固かったらしい。
惜しむらくは、メディアの態度である。「ペンは剣よりも強し」これは世界の常識だが、通用しない非常識の地域がある。
匕首(=あいくち)は、剣よりも筆よりも強い、この地の常識では国民大衆の口も黙らせるし、すぐに忘れさせる効能がある。
さてさて、古い事を知る事を歴史と言うそうだが、オラは頭が弱いのでそれが理解できない。タイトルと年号と主役の綴りの3つだけを正確に思い出す事が歴史だとは、到底理解できないのである。
それも人類600とか800とか万年オーダーの時系列を途中から始めて、直近の100年くらいをぶっつりと切離して全く取上げない。これはまたこれで、 ” タコツボ史観 ” とか言う人が居るそうだが、一国身辺平穏のための世過ぎ技であるらしい。都合の悪い箇所は教えないに越した事は無い。教えられてないから知らなくて良いのだろう。これぞタコツボの常識だ。
今日只今を深く知り、明日をより良く生きようとするためには、少し昔の事を今日から遡るようにして調べておくと良いと想う人も居る。その調べ方もなるべく複眼的に、視点をあれこれ変えて、多様な立場に立っていた方がしくじりが少ないのかもしれない。先の講和条約には、ユーラシア大陸の数カ国が参加しなかったとのことである。一方とは親密にし、他方は袖にするようなやり方では、北の方のシマは還らないかもしれないし、南の方のシマの帰属にしても名ばかりであって返還の実体に程遠いのかもしれない。
その点、先の大戦では同じ敗戦の側であったドイツは、20年前に決着した。休戦協定の参加国すべてと洩れなく一回で一括協議し調印すると言う原則を貫いたからであろう。過ぎた丑年は、ベルリンの壁崩壊から20年であった。衆人環視の中、万機公論に決すべしである。
さて、1960年は、安保締結から10年が経過し、改定か廃棄により国内外の矛盾を解決するタイミングであったが、二枚舌本舗の後継者ケシフシンは、密約はさておき、国内で起きる外国駐留軍人による凶悪犯罪の多発を無視した。当時の国民の多くは、まったく防止措置に向わない政府の無能振りに立腹した。
凶悪犯罪は、USAの対日姿勢の反映でもあった。世界各国に公汎に展開配備する徴兵制の中で、最も劣る悪質な要員<犯罪者は兵ばかりではなかった。将校も含んでいた>を日本に集中配属したとか、言葉が通じない日本の特異な異文化性とか、無条件降伏と言う人類史上稀な屈辱的地位の反映とか、色々な背景があったようだ。
ここでは、安保改定当時に起った凶悪犯罪を事例として掲げる。
 ● 1957-1月30日 群馬県相馬が原実弾演習場<米陸軍> ジラード事件 薬莢など金属くず回収のため不法侵入した主婦を手招きして射殺。確定刑=執行猶予付の懲役3年は驚くべき軽罪。間もなく帰国したので執行猶予の意義は失われた
 ●  同年8月2日  茨城県水戸対地攻撃射爆訓練場<米空軍> ゴードン事件 超低空訓練飛行中、27歳の中尉が付近を自転車に乗って走行していた母子2人をタイヤで挽き殺した。常識的にあり得ない滞空事故で故意犯罪性高いが、最終的に補償不起訴で決着し、事件扱いされなかった 
 ● 1958-9月7日 埼玉県狭山市ジョンソン基地<当時/米空軍> ロングブリー事件 勤務中の兵が進行中の西武電車に向って発砲し乗客を射殺した。これも常識的にあり得ない事故で故意犯罪性高いが、重過失致死で禁固10か月の軽罪であった
上記3つの事件を俯瞰すると、東京裁判の被告として戦勝国側で訴追された者が皆無であったことが想い出され、犯罪に手を染める彼等が我を見下す姿勢とか、行政協定により処罰されない特権的超法規的立場に拠って立つ傲慢振りが見える。
これらを踏まえて国民規模の反対運動が起った。ストライキが多発し、ゼネストとなった。あの馬面ノッペリは、海の向こうしか見てなかった。海の向こうの「強いトラ」の言いつけを唯々諾々と処理するのみであった。中央集権なる政治組織が、上位下達の一方通行であって、民主主義の実現に相応しくないこともまた、この時明らかになった。
この時の国民規模の運動は、1960年6月15日に起った国会構内への突入がピークであった。これもまた、言論の府への暴力組織集団の投入により排除された。
警察官の構内導入による強行採決・可決は、既に改定安保の批准国会において無能な為政者は十分リハーサルを積んでいたことであった。
この過程で、女子東大生が犠牲者となった。
さて、その国民規模の結集と高まりは、その後どうなったか?
当時中学生だったオラには、気の利いた答が見つかるとは想えない。しかし、答にならない答らしいことは既に述べてあるような気もする。
続いて起きた事を以下に掲げる。
 ○ 1960年10月 フカヌマ社会党党首殺害事件<犯人は少年>
 ○ 1961年2月  風流 無粋リクソト襲撃事件<これも少年事件>
すべからく、過ぎた事は速やかにキレイ・サッパリ忘れる事である。それでもってこそ、清く正しい事だけが思い出として残るのであろうか?