じじぃばくだんNo.4<爺ぃ獏談>

年が明けると、ついこの間起きた事なのに一挙に古くなったように想う。この国民性は、公私混同、曖昧模糊に並ぶ、三大困った特徴の一画である。さて、この起きた事とは、予算閣議決定である。原案つまり骨格が閣議を通っただけのこと、登山で言えば一合目どころか未だ歩き始めでしかない。本番はまったくこれからである。と言っても、費目表題と金額数字だけの羅列、これはお手上げじゃによって、予算の話はパス。
以下の展開は予算絡みの「コンクリートから人間へ」なるキャッチコピーの方へ舵を切りたい。
このスローガンをじじぃ得意の勘違いで、少し期待を込めつつ、ぬる燗でチビリチビリやる次第なりである。
『コンクリートから』とは、メディア族製の傑作風刺語「ハコもの行政」のことである。
ヒトによっては、公共工事とか言うが、官と公との区別が出来ないAHOが言うことだから、名ばかり公共で、実体は官製談合による財政出動の自然破壊と大差は無い。人口減少の流れ定着の中では、何よりも率先して行政のスリム化、財政の小規模化を大方針に掲げるべきだ。
既にして撤退が遅きに失したインフラ整備一辺倒のマンネリ政策から脱却しようとする方向やまさによしである。
『人間へ』とは、4年に一度の選挙投票でしか政治参加しようとしないオリンピックゲーム選手<=衆議院の任期も4年>みたいな眠れる主権者のことである。つまり、これまで一度も存在を認識されたことがない「眠っているような、その他大勢」のこと。国民などと聞いたようなことばでも呼ばれる。
このズンボク(=漢字なる海外由来語で純朴と書く)な集団は、1億3千万人全員が揃って三大困った症候群の一つである【常発性早期健忘症】を患って居る。
まさに、検定教科書の筋書きどおりの「徹底した愚民」なのだが、当人達にはその自覚が全く無い、落語のハチやトラを日々地で演じている、、、あそうそう、検定の語の前に国家なる「カタチばかりのお決まり」を付けなかった。忘れたわけでない。クニを家と同視させようとする愚民政策と一線を画そうとして付けないのだ。
家に家父長が居た。もうそんな時代ではない。オヤジなんか、とうに怖い存在では無いのだ。
列島の鬼門なる北東地域では、いささか訛るが、次のように言う。・・・・ 地震・カミナリ・カゼ(=台風とトリ、ブタ経由インフルエンザ)・水害 ・・・・とは、実は言わないかも?
あそうそう、ファミレスも消える時代だ。なんせ、家族なんて言葉が意味するものは、複数じゃない、単数概念に変ってしまっている。次の国民調査を待つまでもない。「お一人さま」家庭時代である。介護保険だけは、後手専科の、この国の行政府が稀に先手を打った奇策と言える。
嫁が来ない「お一人さま」でも、シモの世話は国費でしてもらえる。これが現代の最先端スローライフ ?  AHOか?
『人間へ』予算では、【 GO 】シリーズの第3弾で、子ども手当を手厚くするらしい。古い看護(=医療保険によるKANNGOSHI出動)、介護(=KAIGOSHIに光を)に追いかけて、これからは子育て<=養護>も国が担当してくれるそうだ ?
YOUGOは保母さん?そりゃ古い。保育士、”士”とはサムライなんですな、畏れ入ったよ。
でもいい加減にせいよ。何でそんなことを国がやる必要がある ?
市町村レベルで済むこと。国が出しゃばるから新幹線なんぞの貨物を載せない欠陥鉄道が作られるんじゃ。借金こさえてまで土建屋に仕事させる時代じゃない。
まあ、でも「コンクリートから人間へ」は、基本方向良しだ。
1955年以来続いて来た企業優先の財政支出から、今後数年かけて国民優先の財政支出へと、路線を転換しようとするモノだ。
この平成変革を大いに期待したい。
要するに経済政策を、サプライ・プッシュからデマンド・プルへと、大きく切替えようと言うのである。
サプライ・サイドとは大企業のことだが、これら生産企業は、狡猾に経費を膨らませて税逃れ、手厚い租税措置を逆手にまたまた税逃れ、更には国外に現地法人を起こし課税逃避する。この方面への財政プッシュは、逃げ水にカネを注ぐようなもの。
他方のデマンド・サイドとは、消費者つまり国民のことだ。生産者で無い国民はいるが、消費者で無い国民は皆無だから、国民が豊かになるよう財政を運営すると、需要面から経済をプルしてくれる。
これまで長いこと【押して】来だが、効果が乏しかった。これからは【引っぱる】方へと基本政策を転換する。
この基本方策転換は、諸外国からも歓迎されるであろう。これまでやって来た悪名高いニッポン、その輸出一辺倒、経済大国妄想は、周辺国の事業チャンスや雇用の機会を奪って来た。これはニッポン発の失業輸出とも言われ、悪評しきりだった。
そして、輸出環境を無理に維持するために、為替・金融面からの支えとして円安誘導・低金利維持に徹して来た。
これは一方で、円キャリーと言う「あだ花借金」を過剰に増やした。この罪作りな投機資金は、マネーゲームを異常に膨らませ、世界中に日本発の悪業をばらまいてきた。グローバリズムアメリカの専売ではない、日米金融業の共犯なのだ。
過剰な資金によるギャンブルの乱発は、まっとうな実体経済を攪乱すること著しかった。
遅まきながらそろそろ、まともで健全な経済活動に回帰するべきである。
今後とりあえず、財政資金だけでも、その流れが内需に直結する国民消費に向けられることで、まともな経済社会、かつてのような真面目な日本に回帰できる期待がある。
政治が大多数者である国民の声を聞き、国民の懐を太らせるように行財政を指図すればよいのである。それが、民主政治の本来の姿でもある。
これまでは行政官が、法的根拠の無い強権を振って来た。60年以上もの昔に廃された帝国憲法による旧態然のやり方を、先例と称して明治以来のやり方でむちゃくちゃ振回して来ただけのことだ。
それに加えて、速やかに公務員制度を根本的に手直しするべきである。有期任期制と公募公選制とを組合わせて、無能者を罷免させ、広く国民から有為の人材を自在に登用出来る仕組を設ける必要がある。
現状の官僚制は仕事をしないで高給を盗める仕組、官製資格制度を多数作って来た。資格ビジネスが異常に栄える、妙な国ニッポンの高コスト体質をいつまでも放置しておくべきでない。
役人が仕事をせず、代わって代書屋が役所の手先を務めて栄えると言う、おかしな国の姿もまた、急ぎ改めるべきである。
追々この面にも改革、つまり資格ビジネスの整理、廃止を通じて、対行政申請手続きの簡素化・迅速化則ち規制緩和が行われるべきである。