閑人耄語抄No.29

No.29 鷲が巣の 峰を分け降る さかさ霧
 〔自註〕 鷲が巣山は国道7号線から何度も見ているが、逆さ霧と絡む山容を、今年になって始めて眺めてから、求めて地元の人に尋ね名前を知った。
今年は、逆白波(=さかしらなみ)の最上川に度々通った。北上する時は、村上市辺を通過する頃に、右手にこの山の姿を見ているはずだが、ありていに申すと覚えていない。運転席の眺望は、ほとんど当てにならない、交通の量に応じて意識が分散される。
鷲が巣山は、三面川(=みおもてがわ)の北岸から、眺めることが多い。新潟と山形の境を隔てる一連なりの山群の中で、ひときわ目立つ存在だ。あえて、その理由を探ると、姿が良いとか、一際高いとか、聞き慣れたコトバに、まず行き着くようだ。
それだけではない。三面川にかかる橋のたもとから上流の川岸は、まるで、バルビゾンの風景である。フランスは、パリにのみ3日ほど滞在しただけだ。だから、絵画集かTVドキュメントか何かの記憶、つまり切取られた印象でしかない。それさえはっきり記しておけば、またそれでよかろうか?
川岸から眺めることができる山があり、その一望の景観の中に詩情を掻立てるものがある。これは景観の中から人工物が見つからない時に始めて、そして暫らくの時が流れた後に、偶然に湧き起ったり、そうならなかったりするものが詩情であろうか?このような景観は、住民資産として、密かに維持されるべきである。
ついでの蛇足だが、密かにが最も肝要である。観光資産にされたら、その本来の良さは、忽ちに失われる。そのような景観の多くが筆者の後半生において急速に失われた。判りやすい豊かさを実現することに、政財官が殺到するようになったのは、東京オリンピック開催以後のことである。この招致事業は、おそらく国民挙げて成功であったと評価しているであろう。それは否定しがたいが、短期的にのみ成功であったと言うべきである。もう遠い過去のことでしかないが、京都議定書を踏まえ、より長期的自然環境観に立てば、その成功スキーム観から十分に脱却しえてないことが今日只今の課題なのである。建設されたインフラストラクチャーの過剰な存在と周囲の自然になじまない異質な人工的景観は、豊かさの対極にある、惨めなすさみですらある。過去の成功体験が強い社会には、転換が遅れるデメリットがあるそうだが、建設は、視点を変えなくとも、いつの世において、自然破壊である。
鷲が巣山についてはまだある。最上川からの帰路、村上に向って車上から山容を眺めつつ南下する。最初にあれがそうだと見極めする頃には、この山は漢字そのものだ、象形文字の成り立ちに納得。しばらく走って、ふと捜すと見失う。暫らく考えて、検証の後に、あの山だと決める。そして、クルマの移動では、3つの峰が2つに見えるようになるポイントを決めることは出来ないなあと想う。更に、いつの日か三面川の河口付近に行き、この山を捜してみたいものだと想う。おそらく、きっと、普通の単独峰の山に見えてしまうだろうと、、、
逆さ霧は、霧とはベクトルが逆らしい。四方が山に囲まれる長野県でも、そう体験できる自然現象では無いらしい。筆者は、東御市の池の平高原を訪れた際に、その近くの温泉にあった説明ボードで、生成の仕組を知った。
霧とは、雲海(=うんかい)もそうだが、低い土地から、地形に沿って高い峰の方に上昇して行く過程で、少しづつ薄くなり、やがて消えて行く。
証拠を挙げることとしよう。
村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ  これは百人一首の中でもよく知られた歌である。
逆さ霧は、文字どおり逆だ。高い位置から降下しながら、徐々に霧の色を失ってだんだんに背景を浮き立たせ、そしてすうーっと跡形もなく消える。
最上川に何度か通ううちに、気が付いたことがある。最上川以南と阿賀北は、一胞帯水(=いちいたいすい。少々東北訛りだが)である、つまり、一体の地域であると感じたのである。阿賀北とは、阿賀野川の北岸を言う地域呼称である。この120年くらいに限れば、両岸とも新潟県の北部だ。
最上川の方は、ひとつの県から流れ始めて、同じ県の内だけを流域とし、河口の酒田に注ぐ。この国の川としては珍しい事だと言われる。よって、この川もまた両岸は山形県である。
県の区分けなどは、人が決めた、この120年くらいの分界に過ぎない。何も現状のスガタを与件として受止めて、固定的に考えたり、その拘わりに捕われる事は無い。
受験ビト的拘束に終身付合わされるのは、教員とか公務員とかの官製エリートだけである。
その県境は、鼠ケ関の町家の間を細々と流れる、よく言えば小川、ありていに言えば、単なる下水溝である。これが県境を区切る自然地形であるとは、数十年前に見た時から今日まで、全く納得しがたいものがある。酒田で名を成した人に、岩船の地から出た人が多いらしい、、、
手元の地図を見た。鷲ケ巣山1093メートルとある。新潟県岩船郡朝日村のうちにある。4文字のうちの最後の「山」1字が、磐梯朝日国立公園の区分内にあった。なるほど、地形には、このような区分けもあるのだ、、、