じじぃばくだんNo.3<爺ぃ獏談>

じじぃばくだんNo.3<爺ぃ獏談> 2009.11.01
10月17日の新聞経済面に、とても小さい扱いの記事を見つけた。
ハイブリッド車にエンジン類似音を義務化するのだそうだ。バカな、、、、。
この国では、メディアが、オピニオン・リーダーであり、我ら民衆は愚昧なる下衆(=げす)か、精々で下々(=しもじも)でしかない、よって、下民(=しもたみ)は、リーダーにただただ盲従する。これをもってリーダー一任社会と規定すること。それが以後の話を短くし、ディベートを封ずるための深謀であって、この国の型でもある。
固有の基本的ルールだが、議論をさせずにひたすら服従させるのが戦前の軍国モードの残滓であるとか、論ずることなくただただ金儲けに猪突猛進する風潮を戦後プラグマティズム・モードとか言うらしいが、ここではこれ以上踏込まない。
さて、しかし下々と言うか在野の自由人の中には、メディアのリーディング方向に従わない輩が確実に存在する。
この「やから」を『ずんぼくでない輩=漢字では、純朴でないと書く』と言う。
つまり純朴で無いとは、折角メディアが、小さく扱うことで、どうでも良い中身だよとか、御上の発表だからちゃんと載せたよとかのシグナルが示されているのだから、、、
黙って読み漏らすこと、それが純朴に徹するエリート・キャデットの使命だよ。
「どうでも良い記事」であるよ、それ以上抉らないでよ。
これがメディア・サイドのシグナルなのだ。
だがしかし、オラにはどうも良くない、全くもって見逃せないことなのである。
この記事を読んで思ったこと、この国の人のやることは、実にちぐはぐ・でたらめである、だ。
車が何ほどのものか
ハイブリッド車に乗る者が何なんだ
と、腹が立ってきた。
話を簡単にするために、歩く人と歩かない人とを区分して展開しよう。
そうです。歩かない人はいない。だからこそ、歩行者は、いついかなる時でも優先される存在である。
だがしかし、この国では皆が口では、そうだと言う。
しかし、車に乗る人は、ほとんど皆が嘘つきで、コトバと行動とが別々である。
オラも車を持ち、下手ながら運転するが、時に歩行者として横断歩道を渡らんとして、気持よくクルマにスーと停車してもらったことは、ただの一度も無い。
それに関してパートナーは言う。
身を挺して、死ぬ気で渡ろうとすること。そうすれば、停まってもらえるのだと言う。
ついでだから、小さい声で背景を説明しよう、
オラは生命保険に加入できない宇宙人だから、この発言に邪念は無いと言える。
ただオラには、一歩踏み出し身を挺する勇気がない。よって、信号機がある横断歩道を渡るようにしている。この国のドライヴァーは、自ら判断して停車することはまったくしないが、信号指示器の指図には、いまのところ、良く従っているようだ。
これも『ずんぼく』パターンのひとつだが、かなりロボット的である。それも28号型で、操縦されることに『ずんぼく』なのだ。
ついでに、体験的法則導入論だが、高価なクルマに乗る人ほどココロが貧しいか、さもなくば、ココロを病んでいるようだ。外車とか、自称みなし外車の国産クルマなんぞは、確実にイノシシ症候群そのものである。
昔は殿様が下に下にと呼ばって押し通り、横切る生麦ビトを斬り殺したそうだが、現代は、「ガイシャであるぞ」とばかりに、カネに眼がくらんだように押し通る。
さて、ではオラはどうしたいのか?
自動車が、無音で走るのは、間違いなく技術者の勝利であり、技術の進化である。これは人類史的に動かぬプラスの評価である。
それに対して、行政府が法律か何かをもって、エンジン類似音を義務化する。自然科学に対する社会科学による冒涜ですらある。
これは、歴史の時間指標の針を、無理矢理に後ろに進めようとする愚行であり横暴である。行政府が真剣に立向かうべきは、歩行者優先の原則を更に一層推進して、歩行者に恐怖を与えるような運転者から免許を取上げ、交通刑務所に送ることで、法本来の主旨を厳格に履行すべきなのである。
だから、冒頭の記事は、本末転倒であるとの立場で、メディアは攻撃すべきなのである。
もしメディアがそう出来ないのであれば、国民の誰一人として異を唱えない道路交通法を改めて、道路歩行を免許制にするか、
そこまで行かなくとも、歩行者専用道路と自動車専用道路とが分離設置できないゾーンには、クルマを走らせないようにするか、
さもなくば、その逆として2種類の分離交通用地を設置できないゾーンには、歩行者を立入らせないようにする強力な法規を作れ。とのメディア・キャンペーンを打つべきである。
そろそろ筆を置くべきである。「ずんぼくならざる」かつ「うやまうべき」ヒトがいる。
この人の『運命の人』が今年完結し、かつての労作『沈まぬ太陽』が今年映画化されたようだ。
戦後60年超にして、この国もやっと君主独裁国を脱して、どうにか第7流の市民国に移ろうとするようだ。ヒツジの歩みならぬオサムシのうろつきの遅さだ。メディアと権力の野合が、これからも暫し続く以上如何ともしがたい遅さではある。