閑人耄語抄−21ならびに22

No.21  轟が  また戻るとは  稲実る
 〔自註〕 この2、3日は暑い。気温はピークを過ぎたが、むし暑いのには参る。
陽の入りは、眼に見えて早まるばかりだ。晴れの日は、勤めて外歩きしないと、夕暮れまでの良い時を味わう日々は、もう少ないのだ。
でも、さすがに暑い。今時散歩するような変人はさすがにいないようだ。時々田面(=たづら)を渡る風が待ちどおしい。
もう稲の葉は、緑色を失い、穂も垂れ下がり始めている。収穫の合図でもある食糧色を示し始めている。間もなく稲刈りが始まるようだ。
秋になると、田んぼの用水は、再び大きな音をとどろかすようになる。田植えの頃と同じ音に戻る。刈取りに備えて地面を乾燥させるべく、水の取込みをやめるのである。春の用水の、あの大きな滝の音は、雪融けした勢いと里に春の到来を知らせる圧倒的なボリュウムであったが、夏の間は鳴りを潜めていたのに、この頃になると、春以上の勢いである、溢れないかと思わせるほどに、渕の上辺すれすれに迫っているところもある。
今年は雨が多い夏であってこうなのか?それとも、白山の麓は、かくも水量が豊富なのか?まだ、どちらとも決めがたい。そう言えば、先般気象庁は、北陸地方の梅雨明け時期を特定しない旨の修正をしたと言う。8月の始め頃に一旦発表した梅雨明けを月が変わってから取消したくらい、晴天が少なかったのである。
でも、稲の稔り具合は、良さそうだ。ここに来て日照は回復して来ているのかも知れない。なんせ、旧国名は加賀だから、名は体を顕すで、輝きが多い土地柄なのであろう。律令制では國を新たに設置する場合の基準があって、加賀の國は、古代の早い時期に、越前から分国して加賀となった。このような場合、国名の付け方は、親の国名の一部を受継いで「こし○○」と付けられるのが一般的なのだが、そうならなかった。既に越中・越後があったために、苦心惨憺のうえ、「かが」になったのであろう。その場合格別の命名ルールがあったかどうかは知らないが、気象とか、特産物とか、天然名称とか、地域の象徴的事象に拠ると想うが、果たしてどうであろうか?
さて、かがまいで知られた早場米の産地で、関西方面では知られた名である。だがしかし、石川米は美味いと言う人は、殆ど居ない。この自慢たらしい口振りが好きな耳タコ「百万石」の地で、なんと謙虚な物言いであろうことか?
きっとかがまいと石川米とは、別物なのであろう。さもなくば、昔は美味しかった、今は美味くない、と言う意味かも知れない。では、今と昔とでは何が違う?そうそう、昔はダムは無かった。上流から自然に水が運んで来た白山のミネラル分は、ダムの壁で堰止められてしまったのかも、、、
あそうそう、化学肥料にもミネラル分があるとは想えないなあ。加賀の人は、正直で謙虚なのだ。

No.22  そりゃ暑い    だども せくなよ   でっかウリ
 〔自註〕 散歩の道筋で、異様に大きいカボチャを見た。写真に撮ったので、見て頂きたい。
だがしかし、カボチャと決めつける自信が無かったので、もぞもぞもたもたとカメラを出してしまっていると、この太陽照りつける中をランニングする初老の男が迫り来るのが見えた。待たずとも海路の日和が来ることも・・・あるものだ。
カボチャではないぞ、瓜だと言う。重ねて、何瓜かと尋ねるも、結果ははかばかしくない。さっきまで覚えていた、軽快に走っているのを呼び止めるから、喉元で停まってしまったではないかと、おっしゃる。
どうせこちらも、無師無則の天然性ハイクだから、名なんぞどうでも良い、今時の暑さは、残暑でよいかどうかとか、そんな小難しい決まり事についても、感心もわきまえも無い。かつて見たことが無いくらいデッカイから『でっかウリ』
この季節外れの?暑さに気も動転したのだろうか、いままさの身投げをしようとしているではないか。『たしかに、まっこと暑い。さはされど、慌てて身投げするなんぞ、そりゃちょっと待ちなよ』
ウリは答える。「身投げじゃないよ、あんまり暑いから川覗きしようと想ってるんだよ」
『ところで、聴くが、泳ぎは出来るんかい?』
川の音で返事はついによう聞えんかった。