閑人耄語抄−17

No.17  家々の  間に見ゆる  麦は秋
 〔自註〕 これは5月に北陸本線から上越新幹線と乗継ぎした際の、行き帰りの車窓風景である。
テッチャンの旅は、分社によるサービス後退を憤らない、目的地での行動性の格段の劣化にめげない、などなどの超人的な?アナクロニストを貫く心の寛さが備わっていれば、それなりに楽しめるかも、、、
目的地が大都市である場合を除き、やはりどうしても車になる。
でも高速道路だと、暗闇の閉所に閉じ込められるばかりで、旅情などとうに失われた。
高速移動に傾く事に高い価値を置く、シマグニ現世的文化観で作られる点では、新幹線鉄路も高速道路ルートも同事である。
さて、鉄路は<その昔>遠望にこそ良さがある。青い空、白い雲、碧の峰に残雪、これが5月の車窓風景である。
雪型は、麓の農民が農作業に着手する目安でもある。農事暦と言って立派な、地域公認カレンダーなのだが、、、
気候変動の昨今では、そして更なる悪化の度が加わる近未来においては、果たしてどうなることであろうか?
日本海側は、遠景に白い山が備わる。この眺望は、米作域外出荷の穀倉地帯でもまたある。
この時期は、線路端から山裾まで、階段状に標高を増す、段々田んぼが続く、わせ青田の広がりを楽しむもの。この古い常識は、とうに失われた。
早苗の中に、建物があるのか、、その逆なのか、、、一面広大な耕地ばかりの田園風景は、もう捜す事が無理である。散居村集落の風景を描いているわけではない旨お断りしておく、、、
稲の春は、麦の秋である。タソックの類いならずとも、概ね食用植物は、実ると『食べられるよ』とのサインカラーになるのだと言う。一括してゴールデンカラーとでも呼びたい、豊かさのシンボル色である。

以下は蛇足である。
2008年中に、麦が一時的に品不足となったことがあった。要するに、食糧自給率が低いから、輸入困難な事態が生じたのだが、それで、稲作休耕田に麦を植付ける農家が増えたのであろう。
農業産物の多様化は、リスクの分散を図る、スコープメリットの追求からも、望ましい。
だが、この農地と建付地とが近接している風景、事実上混在とも言える、異なる用途の土地が細切れモザイク状にある様相は、肝が潰れる。
もともと狭い国土を更に狭くするような愚かな行為の帰結である。肝を消すが、アナクロ的で大袈裟なら、肝が冷えるくらいにしておこうか?
これだけ狭い土地が、所有関係がどうであれ、互いに用途の異なる土地同士が連接することで、不測のトラブルが確実に存在するであろう。
最も容易に予測できるトラブルは、農業生産コストの高騰であり、コスト低減の困難さである。
そして、この国の農業の困難の始まりは、おそらく、敗戦に伴う農地解放にあるのだと思う。
農業に限らず、全ての産業には、再生産規模=事業継続に必要な最小経営規模のこと、が存在する。マッカーサーは、それを十分に熟知して、営農規模水準以下の自作できない「名ばかり自作農」に、零細規模の農地を分与した。
これは、江戸時代には「田分け」と言って、最も愚かな行為として禁止されていた大犯罪だった。
しかも、江戸期の約260年間は、殆ど人口増加を見ていないのだ。現在の人口の約4分の1の水準を維持したのであった。
人口が、僅か100年で4倍に急増した、食糧自給率も相応に低下した。これは単純な代数的当為である。このことは、140年前の大政変により導入された中央集権制や富国強兵策の失敗が招いた単純な結果である。
マッカーサーは、ほぼ60年前だが、溺れて弱っている者の足を水中から引っ張るカッパの役を真似した。
もともとの大失敗に比べれば、追い撃ちしてダメージを加重した程度のささやかな意地悪だったようだ。