閑人耄語抄−10

 No.10  ひゃっきんや   アンフェア・トレード   ジャングルしょう
〔自註〕 思いつきをそのままに、熱いうちに吐出す。詩とは、そのようなものだろうか?腫れ物のように、時も所も弁えない。人とは、そんな存在だと、、、
前置が長いのが自註らしいか??
ひゃっきんや・・・とは、無理して漢字表記すると、百均屋となる。ジャングルのように商品が溢れている。そこで、ジャングル商と言ってみた。ジャングルは、ジャングル大帝レオには、全く関係がない。放映時期からして受信年代層ではなかった。アソ・プライムーミンスター?のようなジェネレイション・ディスクレイマーの役割を果たせそうには想えない。
ここでのジャングルは、ぐちゃぐちゃに商品が溢れるさまのたとえである。単に5音の制約におさめる為でしかない。
「しょう」とひら仮名書きとしたのは、1表記で2つ以上の意味を示す為である。ここでは、ショウと商としようの3つだ。
驚くほど、モノが何の脈絡も無く、雑然と、数え切れないほど置いてある。レビューショウのよう、、、ビルディング・ジャングルのよう、、、、急激に疲れを覚える。いずれも筆者の連想である。
あまりに盛り沢山の原色が、圧倒的ボリュームで、所狭しと動き回られると、、、、摩天楼がそびえ立ち、空がアタマの上にほんの少しだけだと、、、そう、気持が悪くなる、、、
肉体的な疲労ではない。
商の人は、しようとして、つまり明確なマーケティング意図をもって、ディスプレイしているのかも知れない。
マーケティングの手法が、振込詐欺のように、ひたすら混乱と誘導催眠に近接すると、それはまた心理学が学問でないと言われ始めたように同じ誹りを招く虞れ無しとしない。
筆者が急激に疲れに襲われるのは、あれを見て、豊かだとは想えないからかも知れない。
時代に乗れない。それは、それでよいのだ。生まれ育った環境が、今日の、自分を、形成していると思えば、リーズナブルでさえある。
最後に、アンフェア・トレード=unfair trade<英語>が残った。この意味・背景をあまり知らない人に対して、素人が説明しようとしている姿勢だけを汲んで、アトは大目に見てもらいたい。アンフェア=形容詞は、不公正な、非倫理的なであり、トレード=交易、内外の区別に拘って言う貿易を含む。
見込み生産、大量製造が当然とされる経済の段階では、ある商品が完成出荷と同時に忽ちゴミになってしまうことがままある。
また一方では、札束で頬べたをたたいて、買い付ける等と言う自慢めいた話を聞くらしい。
低価格の理由は、為替差にあると説明されても、つい数年前までの価格を知る古い人間には、あれもこれも百円均一とは納得しがたい。
リーマンショックで知ったサブプライムローンがセキュリタイズされたチョンボマジックのように、リスキーでうさんくさいものが、どうしても付纏うのだ。
百円均一が、生産地でのコストを十分に補うフェアな仕入だとしてもだ。百均屋出現以前に、これを作っていた日本のメーカーは、どうなったか?そこで働いていた労働者は、今日どうしているだろうか?
その昔、アイスランドに行った。あちら版の百均屋があって、ちらと入った。欧州の西の果ての孤島にも、東の果ての弧状列島にある商売があったのだ。違いは、種類・品数が圧倒的に少なかった。中国に遠いからだろうか?
もう一つ、更にその昔、アメリカでのこと。これは日本にもまだ百均屋が出現する以前の大昔だ。土産を買うのに苦労した。USAメイドと表示されたものは、大小を問わず、高価・低価を問わず、ほとんど無かった。
おそらく、日本も殆ど既に、間もなく全く、そうなってしまう。
これをも含めて、アンフェアとは、時に距離を置きたいと思う。
法外な安物雑貨が、支離滅裂な金融ショックが、豚仲介インフルエンザが、ストレートに入って来ないように、、、、