閑人耄語抄−3ならびに4

4月。この地の桜は、耳からのメディア情報によれば、9日に満開となったそうだ。前月の末頃から家の周りで開花していたのだが、この国では公式発表云々が則ち権威ある?唯一の信ずべき?情報とされるそうだから、発言する時には、観察と伝聞とソースの差が伝わるように心がけている。
9日の昼頃に、この地を発って、隣接富山に足を入れた。この日は、氷見に泊まった。氷見は、能登半島のとば口にある。氷見の海辺からは、雨晴海岸(=富山湾)のかなたに、列島脊梁山脈が見えるであろう。高山の頂きに、雪の峰が連なり、、、眼の前の海辺は花の並木で、盛りに向いつつある、、、、そして、白い頂きから、しずしずと円い望月が顕われ、、、、とまあ、始めて行く土地だから、想像たくましく。
でも、発言は、サプライズであるから、詳細は口にせずと、自制しつつ。
さて、この日から今日まで、能登、加賀、越中の三州のどこかに居た。この日14日この地に舞い戻ったが、久しぶりの雨に打たれて、桜は無惨な姿であった。
     月と花と   五日のうちに   過ぎにけり
さて、9日は、十五夜。 
因にこの三州は、加賀藩領であった。この地には、利家とまつがおり。加越能三州の大守などと言う。
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みどりの日だと言うのに、寒さが堪える。この7日ほど、続いている。老いの身の知恵?で、ゆっくり起きているにも拘らず、7時頃の室内気温が13度では、堪え難くストーヴに点火することが連日の事となっている。
暑さ、寒さも彼岸までと聞いたが、、、この月の半ばには、雪月花。日本文化のトリコロールーウオッチを狙うほど、暖かかだった、、、、
     寒い日々   ウグイスもがなと   思う春
昨晩冬まで、標高1500メートルの高地に、住いしていた。その頃、朝となく、昼となく、ウグイスの鳴き声を、時に近く、そして遠くに、ある日は終日全く聞かずに暮らしていた。翼のある彼らは、快適な気温を求めてか、自由にタイムリーに、移動しているらしかった。
古くから、ウグイスの谷渡りと言うそうだ。
さて、ホモサピエンス曰く。定住は、便利だから選択したのだが、ストレスをもまた連れて来たようだ。