New Year Letter 2008 from Minenohara

迎春   2008年元旦
花の百名山根子岳の登山口1,500mに移り住んで2度目の冬である。
雇われ人生活38年間に先送りして溜った諸々を整理する日々だが、他方ではここの環境に応じた衣食住の課題は思ったより重い。
ここでの生活は、一言で括れば専門技術者依存、カネ使い経済の都会生活とは別物である。シマの暮しに近い。
不便だが、それもまた人生である。
何でもまず自力、どうしたら一人でやれるか?段取を考える、これまでの経験も乏しく、ほとんど何も出来ないが、、、、
周囲に住む旅の写真家なぞは、こつこつ時間をかけて自らの手で家を造る。
早くそうなりたいものだ。
以上は所謂葉書ヴァージョンの全文です。過ぎた2007年の年次研究は、7年目となった「ホームレスの実践的研究」。これがテーマでした。
結論から言えば、メッセージとして発するものはほとんど出来上がっているが、現実には文章としてヴィジブルなカタチにはなってない。
口先だけでは訴求力が乏しくメッセージ性が弱いと思ったからである。
口先でないとは、自らの身体を使って食糧を得ることを意味します。
春から秋までトライしました。農作業によりまず野菜を少しでも手に入れようと、、、着手の1年目=何と着手?響きだけ、実体が伴わないので以下省略です。・・・・・・ここを更に抉りたい意向の方は、『ホットな山の一日』に索引アクセスされたい。悲惨な結末でした。
悲惨とは、自らの口に入る食糧の限りなく100%を未だに日本銀行券でもって手に入れていること、つまり、ホームレスとして自立自存の見通しが立ってないことを意味します。
ここで少し説明の必要があります。第1=農作業は、道具は日本銀行券でもって手に入れて良いことにしてます。でも、機械つまり動力発生装置を使うことは出来ないことにしてます。第2=日本銀行券はそこそこ保有してますが、これに頼ることは自立の要件を100パー欠いています。ここの理由を手短に片付けることは至難ですが、現役かつ在野の文化人類学者の言として日銀券の流通力を疑っているためだとしましょう。40年以上社会科学をこなして来ていますから、、、このような発言が市民の一部に無用な不安を与える懸念無しとしないことはいささか承知してますが、、、ただ、ここではその上でなお、日銀券に関する上述の見解は替えません。日銀券を前提にしている間は永久に自立不能なんです。
そのヒントを簡単に、、、、現代社会のパラダイムこれは産業社会の主導原理と同義ですが、それを所与のシステムと考えてません。
更にこの困ったパラダイムが形成された歴史的背景を考察し、そこから大航海時代海上ルールを調査する必要が生じました。
ここで少し補足が要るので、説明と言う脱線(=本論脱落)ついでにさらなる脱線をします。
小説新潮6月号に「海族研究は誰の役にも立たない」云々の文があった(=2007年刊=通巻757号266ページ上段。ただし原文は海賊とある)。
これはとうてい容認しがたい。
その理由は単純である。海賊のルールを基礎に成立した現代の白人パラダイム資本主義を否定し、この産業社会の不都合な点を改めないとホームレスやアジアにアフリカに南米大陸に住む人にも人間らしい生活は遠く、引いては『生きとし生けるすべてのもの』にとって、欠くべからざるこの地球が破滅してしまう。現実の恐怖がさらに進行してしまうのです。
脱線の脱線が、いつの間にか我がホームレス論のまとめに限りなく近づいてしまった。
そこで締めの一言を述べよう。
ホームレスはカネを使わないことで自立自存の生活に最も近い。これは未来の社会を先取りした生き方である。
そして、産業社会の重要なファクターである行過ぎた分業専業体制つまりカネが媒介する相互依存が世界全体に及ぶ危機的状況から遠ざかることで個人的に安全保障を備えなお強力化する生き方でもある。
最後に、蛇足の一言、これを在野の経済学者の論にあらず、外野のそれだとする見方もあるらしい。(笑 笑)
笑う人への反論=メディアに出現する著名な経済学者は2〜3名を除いた多くが経済学者にあらず、経済政治学者でしかないと、、、