+<菅の岼アンソロジー13>
13、去る3月31日午前中は、朝から好天に恵まれた。散歩なる山歩きに出た。越後国境の山々がはっきり見える。この1年課題になっている例の浅間山妙高山が一望できるサイトポイントの探索行である。
 この日はいつもと作戦を変えて、自動車が通る道を下った。国道に面したスキーゲレンデが見える。このところの標高は、概ね1300メートルくらいだと思うが、3月も末になると雪の降り方も間遠になり、最低気温もマイナスになる日が少なくなった。昨今のスキー斜面は、気温さえ条件を満たす位低温であれば、人工降雪機で造雪して滑走面を夜通し整備して、とにかく営業しようとする。だが、この年の気象史上まれなる暖冬から、この週末をもってついにクローズとなるらしい。
 天狗山の北から東側へと連なる斜面を見つつ国道を南に進む。菅平高原を走る国道は、高原の最上部の平坦地を約1キロほど南北に直進するが、その中間付近にドライブインがある。そのロードサイドレストランは、所謂アメリカであると考えている。レストランの向こうがアメリカでこちらがこの国である、とまあ考えている。
 うまく説明できる自信は無いが、それくらいこの辺の土地は、乾燥している。四季を通じて内陸の高地は、ドライである。ドライな風土は、そこに住む人間をまたドライにするかも知れないと考えている。
 そのドライブインの前で、国道を捨てた。小高い路肩の横の土手を登って、急な斜面に取り付いた。ムラ消えの黒い雪が僅かに斜面の一部に見える。目の前のリフトは、もう動いていない。斜面の下の方から吹き付ける風が実に冷たい。空は晴れているが、吹く風は別だ。あらためて首と手首に巻付けるものをキツく締めて風を防ぐ、既に歩き始めて1時間くらいが経過した。空模様が気にかかるが、この斜面からは西の方角しか見えない。風のくる方向に顔を向けたいとは全く思わない。
 やがて滑走斜面の端に立つことが出来た。視界が大きい。正面に根子岳四阿山のセット(=ねこだけ・あずまやさん)が空いっぱいに見える。右の方に期待の浅間山が見える。他の山に無く唯一この山にだけあるものがある。噴煙である。見えるかどうかが、一つの期待である。風が強いと山体がくっきり見えても煙が立上がらず目視不能となる結果を招く。この地は浅間山の北もしくは西北にあたるから、卓越風の風上にある。それで一層噴煙は見難いことになる。
 すぐに反対のほうを見る。高い方の滑走面のすぐ上に空がある。越後側の山々は見えない。この山郡が雲に閉ざされていない事を祈りつつ、登り足を速めるが、そんなに長続きはしない。
 滑走面の中腹で、立ち止り、息継ぎをする。四方を見回す。新しい発見があった。菅平高原の外輪が欠ける低地、そこから南西に向けて谷と滝があり、水が麓に向かう。その外輪欠損部の上、遠くの空に見た事が無いものがある。
 だが、その山の形には,見覚えがある。そうだ、八ヶ岳蓼科山だ。まさかその位置にあの山が姿を現すとは、意外だ。
 その眺望に背を向けて再び歩き出す。見渡す限り、この広いスキーゲレンデに、探したら、やっと2人のスキーヤーが居る。斜面の上端に人工の構造物があるのが見える。雪が融けた地面は泥土だ、歩き辛い。その見上げるばかりの高さを持つ小石を積み上げて固めた塔は、胸の高さに金属板が貼ってある。人の顔が彫ってある。横文字はドイツ語のようだ。日本語の説明板があった。シュナイダー記念塔だ。1930年に菅平に来てアルペンスキーを指導したと言う。ハンネス・シュナイダー(1890〜1955、オーストリー/ザンクトアントンチロルに博物館がある)の生誕100年に建てられたもの。プロスキーヤーの草創のひとりとして、菅平を愛した国際人のひとりであったようだ。
 その周囲には、その他にダヴォス姉妹都市から寄贈された構造物などもある、ダボズの丘と言う平坦な尾根の端部だ。ここが探し求めていたビューポイントだった。1カ所で周囲の高山が一望できる好所であった。希望の二つの山に加えて更に三つの山が見える。そこでここから見える五つの山を菅平五山と呼ぶ事に決めた。強引に5つに絞ったに過ぎない。ネコアズマ、ミョウコウ、ダイマツ、ヤツタデ、アサつらの五山である。どの山も雲に閉ざされることなく一堂に会している。なんと今日は天気の良い日だと満足して家路に向かった。帰路約30分の間に天気は急変した。今でもどういう天候変化なのか仕組がよく判らない。
 これまでの気象理解は、こうだ。季節により西から時に東や南から徐々に気圧変化がつまり気圧帯が移動してきて頭上の雲行きが変るものだと、、、ダボスの丘で360度の視界を確認して残り半日は晴天が続くものと考えていた。15分も経たないうちに太陽が消え、間もなく空から白いものが落ちてきた。その頃には風もさま変って方向もめまぐるしく変化し、強さも増している。
 目の前の丘、なんと頭上から天候が変り始める。そう理解するしかない。それ以外にはこうだ。ネコアズマの裏の空に冬将軍の一派が潜んでいて、その最も近いが死角となっている所から急激に空模様を変えに躍り出てきたのだ。
 菅の岼(=すがのゆら)、この標高1500の新天地の暮しは、本日をもって1年が過ぎた。明日から2年めに入る。季節は春だが、その寒さは風がある分だけ冬より怖い、その強さも真冬より厳しく危険な兆候を見せる。
 四季がある事が、日本の風土の特異性の一つだが、冬と夏の間を繋ぐ3つ目と4つ目の季節は、文化に彩りをもたらしつつ、他方で自然に立ち向おうとする者には変化場面が多くなる分だけより深刻さをもたらすのだと思う。