+<菅の岼アンソロジー12>
12、暦の上の春となった。太陽の強さもだいぶ増してきた。今年の日本列島は異常暖冬だと言うが、この度始めての冬を標高1,500メートルの山の中の一軒家で過ごすことに挑戦したので、比較すべき過去の体験が無い。
 ここでの冬を過去形で話せるのは、おそらく5月の連休前頃であろう。それは太陽の当たらない山陰の雪がすべて消えるとの前提だから、最も悲観的な立場だ。
 11月の半ばから降雪を見たが、年が変わった頃から一日の最高屋外気温がマイナスを脱する事の無い日が続いた。1月中の真冬日でない日は、2〜3日しかないから、当分の間、越冬の緊張からは抜けられそうもない。
 立春。イメージから、この日は雪原に出たい。朝から晴れている。まずまずと想ったが、直前で取りやめた。家の中から雪の上の雪煙の走るさまが望見できた。ユキのほむらは時々休むが、たちまちに体温を奪う強さだ。
まるで、春の女神がすぐそこに迫っていることに、冬将軍が怒っているようだ。
 春立つ日ではなく,冬親父の「はらたつひ」であるか   おおさぶ!!
よって、外出はこの日はとりあえず延期となった。
 雪原散歩は、毎日のように様子が異なる。空の様子,山の形、足跡のヴァリエーションなどなど、、、、白一色のユキ野原と書きたいが、現実はそうではない。細かい塵が落ちている。と、始めは想った。そうでもあり、実はそうでもない。
 はっきり判るのは、風に乗って飛んだ植物のタネである。確実にそうだと言い切る自信はないが、カエデの実にどことなく似ているものがあちこちに落ちている。あの羽が着いているようなタネなのである。
 白樺の木の皮が、纏まってユキの上にある。大きいものは、手のひらくらいだ。強風の季節を利用して、木が衣替えをしているのだろうか?
それでキサラギの頃と言うの?? やっぱり言わないわなあ、、、、
 菅平湿原は、既に紹介したが、四季おりおり、それぞれの趣が楽しめる場所だ。
そこの入口に大きな石の歌碑が立っている。
 信濃なる  須我の荒野に  ほととぎす
      鳴く声聞けば     時過ぎにけり
 刻字は万葉かなだが、ここでの表記は、新潮日本古典集成に拠ることとした。
万葉集巻14の3352、東歌である。ついでに、歌の大意もそっくり引用させてもらうこととしよう。『信濃の須我の荒野、この人気のない野で時鳥の鳴く声が聞えるからには、あの人が帰ると約束した時期はもう過ぎてしまうのだな』
 この須我の荒野(=すがのあらの)とは、菅平のことだぞと碑を建てたのであろう。
 その解釈を許容すべきなのだろうと想うが、、、スガと言う植物は、世界中の水辺にあると言われるくらい、ありふれたものだから、本家争いを避けるべくまず建てるとして、、、、
 湿原を見ていつも想うことがある。
 願わくは、地球上の水辺や、そこに集う生きとし生けるものが、とこしえに変わることなく、いのちを永らえる存在であって欲しい。
 そのためには、人類は平和を維持することをまずもって最高の使命としなければならない。
 湿原から見る浅間山はなんとも壮観である。この景色もまたいつまでも変わらないことを祈りたい
 
 菅の岼(すがのゆら)アンソロジーは12章をもって、いったん休筆とします。
お読み頂きましたことに感謝を申上げます。