+<菅の岼アンソロジー11>
11、西の窓から北アルプスが見える。あの安曇野の平地から見上げる山の連なりだ。いつもは見えないのだが、西側の森の木の葉が落ちて山々が真っ白になる頃に、木の幹を透かして僅かに見える。
 考えようによっては、木の間越しに見るのでは見えてない、そう言えない事もない。
 これはこの土地での風景の見方である。
 長野県に住んでみて発見したことは、景観の変化である。個人的に見つけたことをことさら『発見」と言うのは、かなり針小棒大な物言いだが、気持ちの昂まりとしては、相応の表現である。
 日々時々に所々ごとに景色の見え方が違うのである。
後日再び同じ感動を味わおうとして、再訪してもかつての空の色、樹々の色はない。それはまたそれでその都度の新しい発見である。
 車で走る道はほぼ決まっているが、日々景色が違うのが面白い。
だが、この土地に生まれ育った人が、そのように思っているかと言うと必ずしもそうではない。それが証拠に海外旅行先を尋ねると、なんと毎回砂漠だったり、シベリア鉄道の旅だったりの人がいる。どこまでも何日も変化が無いのが良いらしい。スケールの差かも知れない。
 木の間越しに見る白い山は、盆栽のようなものとして見ているのかも知れない。盆栽のスケールは、等身大の小さい空間の中に一つの大木や集合林としての景色を想像させるのだから、かなりの拡大倍尺での宇宙観望である。人の眼に備わるズーミングが錯覚をもたらすのであろうか?現代風にはヴァーチャル・ビューとなるものが、江戸時代から既にあったのだ。
 それに対して,ここの盆栽風景は、盆栽と対極である。
 富山、長野の県境くらいの超長距離スケールを窓幅に縮小して見るのである。しかも、何の工夫も仕掛もない。盆栽のような長年の苦心もない。ただ天然の造化のみである。いつも言葉が足りないだけだ。
 朝は、眼の高さにピンク色の帯が浮き出る。ドイツ語はよく知らないが、モルゲンロートとはこれを言うのだろう、、、
今日は,散歩に行こうと思う。家を出て少し高い丘に出れば、木の間越しに代わって樹冠越えの景色になる。バーコードが眼下の前景に下がって、山全体を欠けること無く観望できるのだ。山肌の細かいところまでが光り、尾根、谷の出入りがよく判る。
 丘で見る北アルプスは、雪に覆われているぶん豪壮に見える。その下に見える手前の青い山並の上に突出て、一層背伸びしたように立派に見える。家の窓と丘とでは、丘の方の視点が20メートル程度高いだろうか?
それだけのこと、所謂見る位置の高度の違いだけで、奥の山が背伸びする事があるのだろうか?単なる見間違いの可能性もあるが不思議な発見のようでもある。
 前の青い山並み、これは善光寺平と安曇野盆地との中間にそびえる山だが、この高さでは木々が山肌の雪を隠してしまい青く見える。この青い落ち着いた色もまた良いものである。
 窓の盆栽は、午後4時以降になると2度目のカーテン・コールを求める。
 北アルプスは脇役になる。この時になるとライトを浴びるのは富山県側の山肌であって、こちらの山体は日陰になりよく見えない。この時間帯は、鑑賞者にも心の余裕がある。それを知っているのか主役は長い時間をかけてゆっくり大きく大化けする。
朝の舞台では存在感の乏しい大道具役であった大空が主役に躍り出る。空だけでも碧から紫、茜へと、少しづつ明るさを絞って行き、やがて明星や眉月に主役を明け渡す。
 願わくば、この舞台に空いっぱいの雲それも北アルプスの雪の色に負けないくらいの色の真弓の雲が欲しい。鰯雲でも巻雲でもと想うのだが、、、
体験からしてこの季節の、この地での「豊旗雲」は望むべくもないように想える。
 黄道の中の雲を仰ぐとき、西方浄土とはこのような光景であろうかと想像する。日の没する方向は、能登半島に当たるであろうか、昔見たことのある海辺の陽の入りもまた神々しい。
 およそ1260年もの昔、隣国越中の国守に任じられて国館に赴任した者がいる。大伴家持だ。弱冠30前の若さで二上山射水川の地で、あちら側から夕日を受けている北アルプスを眺めたであろうか、、、
 ちなみに万葉集信濃が地名として出現するのは1句のみである。信濃の地名は、植物の「しな」に由来する。真田町の旧役場前に説明銘版とその樹木がある。識者によると実際の自然木はごく短時間に大木に成長すると言う。ドイツで言う『リンデン』の木であると説明板にあり、樹皮からは航海用のロープなどが作られるとある。
 古来からこの地信濃の国のもっとも有名な特産物は馬である。「しな布」は、その馬を蹴落として国名を獲得しているのだ。
 真弓もまた、都で名声を得た特産物であった。菅の岼の雪原に入る道の小川沿いに点々と生えている。ニシキギ科の落葉樹で、平安の頃は、弓材であった。この木の白い木肌が映えて、実用よりみてくれを重んずる公家に重宝されたのであろう。真弓の語は万葉集に「しろ・はる・ひく」などの枕詞として多出する。
 この木の存在が、注目されるのは秋の頃である。山路に花が消え、紅葉の季節にまだ間がある頃、避暑地は色数が乏しくなりやや寂しい。その頃、水線沿いに桃色の花まがいに見えて、華やかさを示すのが真弓の実である。この心情は,都人にも通うものがあったとみえる。源氏物語によれば、寝殿造りの邸宅の庭に真弓が植えられていたことが判る。