+<菅の岼アンソロジー10>
10、雪原を2人連なってラッセルする老体がいる。目撃する者がいたら、頭のネジが緩んでいる徘徊者と見るであろうなあと思いつつ、そのうち止めなきゃと思っている。
 雪の草原の足跡には、いろいろな動物の徘徊の痕跡がある。もう二つだけ紹介しておこう。
 まずは、パンダの顔だ。あの熊猫は、眼の周りが黒い。顔の黒いところだけを抜出したような足跡に出会った。足形の大きさのワリには、その間の幅が長い。そうだ、雪ウサギかも知れない。実物を見たことはないが、走るとも飛ぶとも空中滞在時間が長い移動が出来そうな奴だ。前足2つが進行方向に対して垂直に並ぶ、これがパンダの眼にあたる。少し遅れて後足だが、空中飛翔後の着地のせいか1つにしか見えない。眼の位置からは頃合いの良い三角形になり、パンダの口に見えないこともない。
 次は、なんとこの冬遭遇した唯一の生きるものだ。モグラかと思ったが、写真を後で識者に見せたら,ネズミだと言う。都会のあのデブ猫より大きいデカネズミと異なり、手の指から落ちこぼれるくらいにつつましい。
道路脇の雪の穴からヒョッコリと顔を出したところへ、運悪く人間と眼が合ったのだろう。行き掛りで、こちらも過疎地の人情のつもりで、声を掛けたのだが、、、、奴はそれで出て来た穴を度忘れしたらしい。何度も何度も同じ所を行きつ戻りつするばかりであった。
 見ているしかない、話も通じそうにない。手助けもならず、あまりに他人行儀過ぎると思われないように、励ましの声を掛けて早々に立ち去った。
彼は,こつ然と現れた大壁の犠牲者だ。高さ30センチくらいだが、除雪車が作った雪の壁はヒマラヤ級だ。まず戸惑い,おおいに面食らって右往左往していたのだ。
 こいつとは性格が似通うなあと今でも懐かしく思い出される。似た者同士でまたそのうちバッタリ行き逢うような気がしてならない。
 この雪原には、すすきのような形の植物が多い。世に言うスゲであろうか?雪野原に枯れてしまってから,あれこれ論ずるとはしまったと言わざるを得ない、全くもって締まらない話だ。何事も姿形のあでやかなうちに視るべきものを見ておくべきだった、、、、
 スゲが多いから地名が「すがだいら」となった。
 当初の作戦はこうだった。
行きがかりとして治まりが良さそうだ、ニヤリとした。だが、待てと思い、ここで書始める前に少し文献に当たることとしよう。
 やはり現実はそんなにうまく収まりそうにない。まさしく山の天気のようだ。思い通りにはならん。
 事典によれば、スゲはアヤツリグサ科とある。説明にイネ科の植物と混同されやすいとある。ここで万葉集にある信濃の国名の出て来る歌との繋がりを押さえておく必要が生じた。
 そこで、マコモの項を繰る。
こちらはイネ科とあり、ハナガツミとも言うとある。
一方は写真 他方はボタニカルアートの図版。どちらもカラーだが、大きさも形も繁殖地域も分布範囲も似ていそうだ。
混同されやすいと明記するのだから、何も素人が決める必要があろうかとばかりに、先送りこそ正しい決定となった。
 どちらも、上代において食糧生産に関与した形跡がある,かつて人類が農業を始めたタソック類とはこれだったのであろう。世界中どこにでも水分のありそうな,つまり植物が生きられる所にはどこにでもあるようだ。穀物草と勝手に命名することにした。
 さて、万葉集だが、巻第2ー96番(=相聞歌)に
   み菰刈る  信濃の真弓  我が引かば  云々
 とある。
 第1句は信濃にかかる枕詞。第1・2句とも『引く」を起こす序詞。つまり、恋愛の場と信濃とは全く無関係なので、全句引用はしない。
その代わり、お断りしておくが、第1句は「みすずかる」ではない。予め抗議が来ないようにしたいのだ。
 菰(=こも)では、おコモさんとか、コモ吊るしとか、ホームレスとその住むあばら屋ボロ家を連想され、長野県愛好の士の顰蹙を買いそうだが、まさしくそれが混同なのだ。笠や蓑や縄の原料はスゲであって、マコモではない。
 マコモの用途は食糧に関する記述のみがある。北米のネイティヴは『ワイルドライス」と呼ぶと事典にある。「美鈴刈る」とはここに来てピッタリ符節が合う。
 日本列島における米への切替は、おそらくこの3千年として、標高の高い長野県への導入は列島中最後つまり最新の技術を駆使して獲得したグループだろうと考えた。
 この伝統は、今でも生きている。
『そばの信州』を否定するものではないが、「米の神州」と言いたい。最新のコメの加工技術である発芽玄米は、この地上田で興ったのである。
 ついでながら。真弓と信濃なる植物については、明日の稿にします。