+<菅の岼アンソロジー8>
8、雪の原を突抜けてひたすら尾根の先端を目指す。立木や原の中の溝を避けながら眺めの良い場所を求めて進む。手前には西に向かってダラダラ下がりの山裾があって,その奥にある浅間山の山体を隠している。西に下るに従い遮蔽クロスがほどける。そのポイントまで、ひたすら道なき雪の原を勝手気侭な方向に歩く。雪が程よく降り積もる時だけ採れるコースである。カンジキを持たないからこれ以上雪が深いと諦めざるをえない。
 春から秋までは立入禁止の管理地であり、背の高いブッシュがあったり、空を飛ぶ虫の攻撃が予想されたりで、目的方向に直進することは出来ない。
更に踏み込んで述べれば、この辺は国立公園内らしい。
にもかかわらず、私有地が入り組んでいる。この山が本来の佇まいとして備える景観や遊歩の経路を無視している。私有地バリケードが張めぐらされ迷路状になっている。さらに頭上にもあの見苦しいクモの巣が走っており、折角の山岳遠望を台無しにしている。
日本国中のどこにもある電灯線と電話線が輻輳する幻滅風景が間違いなくここにもある。国立公園内であると説明を受けたが、実体として内との外との違いを示すものは何も無い。公園とは名ばかりだ。
 雪の原には、ところどころに白樺や3階くらいの高さの木がある。
枝には雪が溜まっている。細い枝にはいっとき雪はついても程なく風などにより落ちてしまう。枝に残る雪のさまで、過去数日の降雪状況を推定することができる。かなり細い枝先まで白いのは、つい先ほどまで降っていたのだ。それに対して幹と太い枝の交わるところ、人体に例えると天を向いた腋の位置だが、ここにだけコンモリ雪玉が固まっているのは、おそらく数日間新雪が降ってないのであろう。こうなると厳冬の時期は終わりに近いことを教えるように空が明るい。
 二十四節気の寒は、最も遅い冬の最終コーナーにあって、しかも寒さが最も厳しい。日脚が眼に見えて長くなるのに反して寒暖計は
芳しいリスポンスを示そうとしない。だが、雪原は気温計以上に優れた予言者なのだ。
 コンモリ雪玉の樹々を見ると思い出すのが、田舎の小正月の行事だ。大人が精一杯手を伸ばしたくらいの雑木を里山から取って来て、枝のあちこちに餅をくっつける。しばらく家の中に飾っておくのだ。それを何と言ったか?まったく思い出せない。
もう記憶が薄れるくらいに、この30年程でこのクニは長く続けて来た民族固有の生活様式をあっさりと捨ててしまった。
モノ豊かな大国の心寂しい貧民になってしまったように思う。
廃れつつあるものに愛着を留めようとする研究を民俗学と言う。調べてみた。マユダマ、マユダマモチとある。写真が無いので確信が持てない。
 やっと見つけた、どうも秋田県角館町に残るモチノキツクリと言うのがそれらしい。モチノキとかモチバナだったかなと頼りない記憶が少し戻るようだが、眼の記憶の鮮やかさほど眼の奥は出来が良くない、、、、
 雪国の年中行事は積雪で外出が制約されるので古体を保存しがちである。年越から元日までの正月は、先祖の霊を迎えての正式の祝いなのに対し、1月15日の小正月は生活者による内輪だけの祝いと言う気がしている。農家や家の商売のある家では,業態に応じたそれぞれの予祝作法があったような気がする。
野沢温泉町で行われる火祭りのことをニュースで聞いたが、2組に分かれた男達が争った後,遂には家を焼いてしまう行事、これなどはおそらく農業の災厄である害虫退治を祈る意味だろうと理解した。
 記憶の中のモチバナもまた、そのような意味や願いから始まったものだろう。しかし、そのイメージのほうは雪の季節の終わり頃の森の姿に似ていたとは、、、、この年齢になってやっとハラに収まるようになったようだ。

+<菅の岼アンソロジー8>
8、雪の原を突抜けてひたすら尾根の先端を目指す。立木や原の中の溝を避けながら眺めの良い場所を求めて進む。手前には西に向かってダラダラ下がりの山裾があって,その奥にある浅間山の山体を隠しているため、そのクロスがほどけるポイントまで、ひたすら道なき雪の原を勝手気侭な方向に歩く。雪が程よく降り積もる時だけ採れるコースである。カンジキを持たないからこれ以上雪が深いと諦めざるをえない。
 春から秋までは立入禁止の管理地であり、背の高いブッシュがあったり、空を飛ぶ虫の攻撃が予想されたりで、目的方向に直進することは出来ない。
更に踏み込んで述べれば、この辺は国立公園内らしい。
にもかかわらず、私有地が入り組んでいる。この山が本来の佇まいとして備える景観や遊歩の経路を無視してバリケードが張めぐらされ迷路状になっている。さらに頭上にもあの見苦しいクモの巣が走っており、折角の山岳遠望を台無しにしている。
日本国中のどこにもある電灯線と電話線が輻輳する幻滅風景が間違いなくここにもある。国立公園内であると説明を受けたが、実体として内との外との違いを示すものは何も無い。公園とは名ばかりだ。
 雪の原には、ところどころに白樺や3階くらいの高さの木がある。
枝には雪が留まっている。細い枝にはいっとき雪は着いても程なく風などにより落ちてしまう。枝に残る雪のさまで、過去数日の降雪状況を推定することができる。かなり細い枝先まで白いのは、つい先ほどまで降っていたのだ。それに対して幹と太い枝の交わるところ、人体に例えると天を向いた腋の位置だが、ここにだけコンモリ雪玉が固まっているのは、おそらく数日間新雪が降ってないのであろう。こうなると厳冬の時期は終わりに近いことを教えるように空が明るい。
 二十四節気の寒は、最も遅い冬の最終コーナーにあって、しかも寒さが最も厳しい。日脚が眼に見えて長くなるのに反して寒暖計は
芳しいリスポンスを示そうとしない。だが、雪原は気温計以上に優れた予言者なのだ。
 コンモリ雪玉の樹々を見ると思い出すのが、田舎の小正月の行事だ。大人が精一杯手を伸ばしたくらいの雑木を里山から取って来て、枝のあちこちに餅をくっつける。しばらく家の中に飾っておくのだ。それを何と言ったか?まったく思い出せない。
もう記憶が薄れるくらいに、この30年程でこのクニは長く続けて来た民族固有の生活様式をあっさりと捨ててしまった。
心寂しいモノ豊かな大国の貧民になってしまったように思う。
廃れつつあるものに愛着を留めようとする研究を民俗学と言う。調べてみた。マユダマ、マユダマモチとある。写真が無いので確信が持てない。
 やっと見つけた、どうも秋田県角館町に残るモチノキツクリと言うのがそれらしい。モチノキとかモチバナだったかなと頼りない記憶が少し戻るようだが、眼の記憶の鮮やかさほど眼の奥は出来が良くない、、、、
 雪国の年中行事は積雪で外出が制約されがちなので古体を保存しがちである。年越から元日までの正月は、先祖の霊を迎えての正式の祝いなのに対し、1月15日の小正月は生活者による内輪だけの祝いと言う気がしている。農家や家の商売のある家では,業態に応じたそれぞれの予祝作法があったような気がする。
野沢温泉町で行われる火祭りのことをニュースで聞いたが、2組に分かれた男達が争った後,遂には家を焼いてしまう行事、これなどはおそらく農業の災厄である害虫退治を祈る意味なのだろうと理解した。
 記憶の中のモチバナもまた、そのような意味や願いから始まったものだろう。しかし、そのイメージのほうは雪の季節の終わり頃の森の姿に似ていたとは、、、、この年齢になってやっとハラに収まったと思った。