+<菅の岼アンソロジー4>
4、外に出た。何の憂いもなく空気を吸う。冷たい、、、、
冬の時期、自然の営みはほとんど休んでいる。少なくともそう思える。春から夏までの間、外に出ると必ず聞こえる鳥の声がこの頃全くしない。
 鳥には羽がある。地を這う動物である人間には理解しにくいが、鳥の移動はおそらく容易であろう、容易どころか、とてつもなく自由で、どこへでも行けるはずだ。今頃はもっと暖かい土地を飛んでいる事だろう。空を飛びながら空中の虫や地上の虫を探して、盛んに食べていることだろう。
 冬の『菅の岼(=すがのゆらとナマって詠みましょう)』は、頭上の木の葉が落ちてしまうので見上げる青空が大きく、思う存分空気が吸える。
 野鳥観察は長野市の住人であるT君からのアドヴァイスなのだが、対象であるトリの姿が圧倒的に見られないのである。もちろん皆無ではないのだから、家の前の雪原の上に餌などを置いておけば良いのだろう。長野市は家の窓から、眺望の下の隅にチラと見える。先住者である彼にこの地の越冬術をお願いして教えてもらった。その追加バージョンに野鳥観察があった。
 だが、山登りの趣味を持つ彼でも、おそらく標高1,500メートルに住んだことはないだろう。ここと長野市は車で約1時間の距離だが、高度差は1,000メートルは確実にあるだろう。高度差は気温差である。想定でここの方が長野市より6〜7℃低いであろう。更に人口や住宅の密集度、経済活動や自動車交通量など社会人工的気温差も加算すると、ここはもっと寒いだろう。
 菅の岼の野鳥は、冬の間一飛びして、より暖かくそしてそれに伴いおそらく餌の豊富であろう土地に短期移住したのであろう。
 鳥類が獲得した自由は、進化の完成段階なのかも知れない。地を這うものとは比べものにならない自由度を備えるが故に、鳥は将来ともあまり姿は変えずに楽に生き延びるように思える。
 さて、散歩の極意は当意即妙にあるらしい。何の目的も持たず、無計画に行き当りばったりに飄々と行き、そしてとぼとぼと帰る事であろうか、、、、
 過疎地の過疎期だから、ほとんど人に行き逢うことはない。それでも散歩のフィールドが無限にある訳ではない。四方八方に向かっても2桁にならない。
 その日の調子で折返しポイントも不定だが、270度の眺望を確認し、その両端に立つランドマーク・マウンテンが見えると概ね満足して、帰ろうとどちらからともなく足の向きが変わる。
 2つのランドマーク山のことは、明日のテーマにしよう。だが、その前に雪にまつわる2つの心配事が家の前で起るんだった  !!!