菅の岼アンソロジー

*菅の岼アンソロジー
 +<菅の岼アンソロジー1>
1、過ぎた4月からこの地に住んでいる。60年も生きたが標高1,500メートルの高地で冬を迎えるのは始めての経験である。この冬は11月11日の夜半から本格的な雪が降った。覚悟はしてたが早いと思った。ただ、それも感想であって、この土地としては平年並みなのか早いのか遅いのか、始めての越冬シーズンを迎える立場ではとんとおぼつかない。大晦日までに15回ほど白いものが散らつき、いつの間にか見渡す限りほとんどの景色が白一色になった。雪はすべてのものを覆い隠した。きりっとした厳しい自然の表情に立ち向うのは、確かに清々しい。
 雪が止んで、風が収まる、空が青く変る時を待って、散歩に出かける。顔の部分を除いた身体のすべてを覆い隠す。大袈裟でも戸外に出る前の完全装備が散歩を続けるための条件である。
 大自然の清々しさを堪能するためには、標高1,500メートルの高地の生態をまず尊重することだ。もちろん屋外の気温は家の中に居て観察できる。だが、もっと怖いのは風による温度の低下である。体感温度とは吹き付ける風によって皮膚の体温が奪われる結果として感ずる寒さのことであろう。実際に外出してみないと耐えられるかどうかは判らない。それについ直前の約20年の間、東京暮しをしていたのだから求めてこの地に住んだにしても、まともな防寒具の備えはない。その類の商品知識もない。おいおいゆっくりと必要に応じて買い足して、、、などと悠長に考えている間に、冬将軍はやって来てしまった。
 なあに風のある日に冷たく辛い想いをしてまで散歩をすることも無かろう。曇りの日は日本の背骨を形づくるアルプスの峰峰が見えないから散歩は明日にしよう、、、、、
+<菅の岼アンソロジー2>
2、ログハウスの小さい窓から西の空を眺め、青空の大きさや雲の色、雲の流れの早さなどを読む。これは、日本海側の土地に生まれ育った者に備わったクセかと思う。海辺の民が身を以て覚えた観天望気のワザが、海から遠く離れたこの地、日本列島の背骨山脈をなす浅間山系の中腹の地で通用するかどうか疑わしい。でも、散歩に出て帰宅するまでの小一時間の天気の先行きがどうしても知りたい。
 標高1,500メートルがお題目のようになって、少なからず臆病になっているのかも知れない。関東圏のように半日・一日の長さでゆっくり天気が変わる世界と異なり、ヤマの移り変わりはとても早い。その自然とともにある一体感が田舎暮しの者だけが味わえる喜怒哀楽である。都会暮しでは考える必要が無いことが、ここではウエートの重い関心事なのだ。千昌夫が唄う「北国の春」のフレーズに『都会では季節が判らないだろうと、、、」とある。たしかにその通りだが、他方で思うことは、都会は季節を気にしなくても良いのだ。それを快適と考えるか?快適と便利のレベルをパスしたうえで更にその先を考えることとするか?それは個人個人のライフスタイル如何による。そのうえで観念レベルに留まるのと実践レベルまで進めるのとでは、また自ずと次元が別であり評価の面もまたそれぞれである。
 世に避暑地なるコトバがある。生活必要度が低いイメージが備わる。住まいの周囲にも建設されて間もなく放置されたとおぼしき空き家が点々とある。最初の越冬に立向かいつつある者としては、そのような事態にならないようにしたいと思うのだが、、、、
 そうだ散歩だった、、、
 西の空色、雲の走りを眺め、腹を決める。それから身支度を整えて出口に立つ。玄関はガラス面が大きい。腰の高さから頭のさらに上、手を伸ばした高さまで素通しで外の景色が見えるはず、、、
 いよいよ外出しようと玄関口に立つ、向かいの森の佇まいが見えるかどうか、、、、、明日に続く