+プロローグ1=コトバは、音声と表記からなる。

日本語は両者の関係がタイトである。ここでのタイトとは、厳密の意だ。古代の日本人に文字は存在せず、漢字と遭遇したときの驚きが万葉仮名を創造し、50音表を造り出した。文字輸入した文化的後進列島人は過度のストレス性アレルギーをDNAにおいて保有するのかも知れない。要するに「標準語」(=音声で表すとヒョウズンゴ)。因に筆者の18歳までの生育地は東北であるが、当時既に駐留時代を経ていたにもかかわらず、明治以来の中央志向イデオロギーは依然強く、文明開化なるスローガンは、実態的に国民総軍人化の標語であると言うべきだが、田舎の教師は「方言」撲滅に熱心であった。地方エリートと軍隊経験者とは戦後においても同一人の集合体であった。学業不出来で教師の教化に対して不信心であった筆者は、コトバは伝われば良いのであって、正邪を論ずる勿れと密かに思っていた。この事は、撲滅キャンペーン禍が過ぎ、故郷を出た後に自説の方がよりまともらしいことを体感した。新潟では「エチゴの好きなイチゴ者」と発音するが、意味するところは、「苺の好きな越後もの」。江戸では「ヒバシ小屋のシバヒ」と聞こえつつ、文字表記では「芝居小屋の火箸」となる。軍制明治が過ぎて民政20年頃には標準語が共通語に、方言が地方語にとその呼び方すら変わった。国の内外を問わずソシュール以来言語学者/語学教師には妄想人が多いらしい。コノクニには、有史以来標準語なる実質は存在せず、近似語として東京地方語を掲げる事が多いらしい。実は、これらはすべて後日談の綺麗ごとでしかない。方言撲滅運動下の軍制教育で小学生を過ごした筆者にとって、標準語習得は、第一外国語とも呼ぶべきエネルギー注入の対象であった。中学で出会った第二外国語である英語には、もう注ぐべきエネルギーはなくアレルギーだけが噴出した。
プロローグ2=筆者が現住の地は、真田の隣だが、我が先祖も約400年前、「真田氏の隣あたり」に居たらしい。ここで時間と空間を絞り込むと、関ヶ原の戦役から大阪城落城までの間の時期に、大阪城内においてである。出典は太閤記岩波文庫版(上)p362(下)P358に人名あり「甲斐守」。この者の出自は筆者の調査(=ただし継続中)によれば、琵琶湖畔/近江八幡市であり、所謂カイゾクである。みずうみのカイゾクに異を唱える人は多いが、旧国名のおうみ/とおとうみの成立を対比して考究されたい。また、うみに当たるであろう『洋』/『海』/『湖』/『沼』の地理学上の定義につきご教示賜われれば尚更ありがたい。なお、この詳説(=文献/姓氏/地理学)は本文において扱う方針である。単に甲斐と海との間で音が重なることを指摘しておきたい。
プロローグ3=筆者は、イスラム教徒ではない。念のため申し添える。
プロローグ4=カイゾクは、一般の辞書においては、海賊と文字変換される。筆者は、ピーターパンの敵ではない。
プロローグ5=海族と当てるのが本意である。海域生息民族のことである。具体的には、漁業者/海運業者/沿岸警備隊/真珠採り/海苔製造業者などを指す。鵜を使って魚を捕る者や長野県などおよそ海に遠い地でカイソウ(=海藻と海草)を加工する者を含む。
+本論第1稿。ここでは、2005年の研究成果として送付した2006年の年賀状本文を転載する。
    産業社会を招いたベースには科学革命と言うパラダイムがあった。
    その一翼を担ったガリレイ(1564〜1642)とニュートン(1642
    〜1727)は高名な偉人だが、これにキャプテンークック(1728〜
    79)を加えたい。
     彼は英国が太平洋に派遣した科学調査艦エンディバー号の艦長で
    ある。
     クックは貴族の出自でなく正規の教育を受けてない海軍士官なが
    ら太平洋の統合的科学調査を指揮した。3度の航海の後、科学研究
    はそれまでの個人の業績から集団のそれへと、さらに産業社会や技
    術と近接する道が開かれた。
     3人の時代はほぼ切れ目なく連続する200年だが、このあいだに
    宗教の支配する中世が終わり、科学が花開く近世が始まった。
以上が1年1回の発表の場における全文である。320文字程度に圧縮する事は、世界最短の詩である和歌や俳句に似ている面がある。
/////次回第2稿は、カイゾクである筆者とクックの接点を扱う事とする