もがみ川感走録第53  もちの話6

餅の話は、最上川流域の新庄から書き始めたが。テーマとしては、山形県〜東北全般にまで及ぶスケールであることは言うまでもない。
モチとウルチの違いとは?単にそれだけの話題から。
日本列島を越え、文化源流と考えられる東南アジアまで及び。更には、モモチ文化圏の外に位置する世界<=多くは天然モチを知らないコムギ基幹食の圏域である>にも伸びた。
モチの話題は、当然のことながら。稲作の日本列島伝来=時間軸の方へも及ばざるを得ない。
食・衣・住のテーマは、どうしても時・空軸が広大になりやすく。最上川との繋がりは、希薄とならざるを得ないようだ。
本稿は、もちの話No.6としたが、”餅”の番外編である。
文化周縁圏なる言葉を持出したのは、柳田国男であったろうか?
列島の縁辺を担う場所に、地政地理からして、東北・西南の両端がある。
モチの文化圏は、既に述べて来たとおり、照葉樹林文化との重なりが指摘される。
イネもまた地球儀的スケールでは、南から北へと生産地を拡大して来た。
南→北への移動は、あくまでも一般概念だ。ここで地球儀的スケールと限定したのは、日本列島の狭い規模に、単純に当てはめたくないからだ。
四囲海洋中のシマグニでは、まず海上移動の後に、耕作適地に上陸し・定着したと考えたい。
海路・陸路の2ルート併用となると、南→北&北→南もまた混在する事になる。
つまり人の移動は、一方通航でなく多く往復交流が行われ、比較検討しつつ・一進一退しながら、今日に至った事を忘れてはならない。
以上の事を踏まえて、総合的に検証しようとすれば。西南・端を占める地政・地理圏は、概ね整合が成立つ。
しかし、残された方の一画である東北・端に当る地政・地理圏〜いわゆる東北は、慎重にならざるを得ない。
気象・気候などの環境条件や作物を生育させるための日照条件など。いわゆる自然界の制約については、現代東北が寒冷地であるから、格別理解しにくいものがある。
その他に,作物栽培に従事する人間側の事情もある。
稲作に食糧として格別の魅力があることを仮に知ったとしても、栽培期間を通じて営農義務を背負い込むデメリットが生じる。
栽培農業の負担つまり労働に従事する日常作法が定着するには、莫大な困難があった事であろう。
現代の日本人が想像する以上に農業労働の実態は過酷であると考えるべきであろう。
採集労働等によって、周囲の自然界から必要な食糧が容易に入手でき・人口を維持できる状況下であれば=縄文期東北の例として三内丸山がある。自然採集に恵まれた豊かな生活環境での暮らし=、農業に踏出して、新たなリスクと負担を背負い込む愚を冒す事は考えにくい。
その意味でも。我々現代人は、稲作農業を過大評価しているかもしれない。
この事にはこれ以上踏込まないし。東北と照葉樹林文化との重なりについて、格別なる新見解を提示できるものもまたない。
ただ、照葉樹林文化の一典型作物たる「茶」だが、栽培の北限は新潟県村上市であると聞いたことがある。
村上は、筆者が掲げる広義の東北である阿賀北<あがきた>圏の内ではあるが、いわゆる行政地圏での東北地域とは言い難い。
さて、その茶だが。茶ノ木なるものは、ツバキ科のツバキ属・チャノキ属に属するらしい。
茶ノ木でも。列島固有の野生種・山茶<さんちゃ>が、九州・四国に自生するとする説がある一方で。自生の可能性に言及しつつ未確認とするものなど、座学=デスクワークで片付かない疑義がある。
次に行掛かり上、ツバキにも軽く触れる。
その椿の植生となると、全国的に大木・巨樹の存在が知られる。東北の地も例外ではないが、雪国の椿に対する熱愛ぶりは,どうも格別のものがあるようだ。
夏泊半島の椿山<青森県東津軽郡平内町東田沢>と男鹿半島能登山<秋田県男鹿市>は、国指定の天然記念物であるが、それぞれに自生北限地として知られる。
雪に閉ざされる土地の住民(=日本海側に住む筆者も該当する)は、春の訪れを強く待ち望むものだが。椿と言う文字構成(=椿は国字であって・漢字ではないと聞く)にこそ、その夢が体現されている。光沢のある緑色の葉に赤色の花、そのコントラストも歓迎される要素であろうか?
椿の赤色から、赤飯を連想してしまった。
赤飯の赤は、小豆<アズキ>の煮汁をもってモチ米を染める例が多い。しかし、赤色に意味があるのか?それともアズキに意味があるのか?
さて、その由来となると見解が多々あると言う。
以下に4つほど、その代表例を紹介してみよう。
○ 早い時期に日本列島に到来したコメは、赤米であり・日常食が赤米であったこと。つまり、古俗の残存・反映とする見解だが、ハレの食事=儀礼食に相応しいと言える。
○ 次は柳田国男の述べた見解だが。日常〜物忌みに入る日&戻る日の境目をはっきり示し、気づかせる必要から、赤い食物をあえて提供したとするもの。
  *本稿 第48稿・もちの初稿で述べた、庄内地方の「凶事の赤飯」が、この事例に当る
○ アズキに厄除けの効能があるとする見解だが、列島に最も近い韓半島の現存風俗にも通じている。
○ 焼畑農業の名残を伝えるものとしてアズキに着目する見解だが。
自然にある原野を区切って、火を放ち。そこに栽培植物を播種する原始農法だから、アズキの赤色と火への尊崇とが重なるとする考えがある。
他方、アズキのたくましい生命力を実感した焼畑農業民の体験に由来するとの注目すべき説がある。焼畑農業の原始農法たる所以は、肥料を一切供給しないで、そこにある本来の地力のみで栽培を終結させる点にある。よって、開畑から3〜4年経過すると地力の減退を読んで、肥料に頼らない栽培植物へと切替することになる。その点最もタフなのが,アズキであり。通年栽培に耐える他に。自然繁殖の事例や焼畑放棄地での野生化に出くわすなど。兎角たくましいらしい。
これは、白山麓焼畑研究会の実演会場で一度お目にかかった事があり、後日その著作があることを聞いた橘礼吉氏の著書である「白山麓焼畑農耕(白水社1995刊)」より引用した。
なお、ここに紹介した4つの説は,互いを排除しあう見解ではない
以下は、いささか脱線だが。
白山は、手取川<石川県>・九頭竜川福井県>・長良川<岐阜&愛知>の3川と事実たる庄川富山県>を含めた4つの主要河川の源流である。国立公園・連邦最高峰の標高は2,702m・火山(最新の噴火は万治2・1659年)。山麓周辺から恐竜の化石が出土するが、中生代ジュラ紀の地層が露頭するためである。「ハクサン〇〇」なる名を冠する高山植物が約20種以上自生するが、北緯36度の温帯立地に珍しい例であり、最後の氷河期の最南端であった可能性を示唆するとの説もある。
最後に。最上川が代表する東北は、日本固有の文化を長く保ち続けて来ており・今後もその良さを意識しつつ・受継いで行くことであろう。その持続性を大いに評価し・期待したい。
モチと東北に絡めて文化周縁圏なる言葉を使ったが、後進性の意味が全く含まれてない事は言うまでもない。
むしろ既に述べたとおり、戦後各地で蔓延した文化的堕落を免れており。良いものを良いと見抜く卓越した眼力を備えていると認識している。