もがみ川感走録 第22 かぶの6

もがみ川は、最上川である。
カブの話も今日で第6話になってしまった、そろそろ終焉にしたい。
小国町にヒッチェカブなるものがある。地元には、弘法大師からの授かりものとする伝承がある。
その特徴は、小国盆地一帯に自生することにある。越後街道や米坂線に沿って蜿蜒と続くから、列島有数の規模の広さと言えよう。
昭和初期頃までタネを採取し搾油したと言う。そのことから、明君上杉鷹山が推奨したとする伝承もあるらしい。
ところで、“ヒッチェ”だが、自然発生とか野生とかを意味する方言らしく。関東方言にも同義の”フッセ”があると言う。
今日は、カブの総集編として、周辺知識を網羅披露するわけだが。これまで述べて来た話題と重なるのは致し方ない。
カブやダイコンは、随伴雑草であり。地中海農業との繋がりが深い。
中でも、カブは世界中に分布し・その歴史もまたとても深い。
随伴雑草とは、地中海農業が畦を造らず・耕地にそのまま種子を散播する農法と一体であり。列島に外来品種が伝来した経緯を伺わせる。カブは雑草として到来した植物が野菜へと変貌する過程を物語る証拠物とされる所以である。
欧州由来の穀物と言えば、まずムギだが。麦畑の代表的な随伴雑草にナタネ類がある。
原産地からは、ムギなどの穀物に随伴して意図せぬ雑草として搬出されたが。伝播した先の土地で注目され・栽培作物化し・外来種野菜として定着したものである。
そのナタネだが、春先に他に先んじて黄色い花をつける。凡そ60〜70種類の野菜類が、ナタネに該当する。カブもそのうちである。
ただ、家庭で料理を担当する主婦層に、”カブ”は根菜類・”ナ”は葉菜類として、別物とする考えが根強い。しかし、春の七草としてのカブは、「なずな=ナ」そのものであることを思い出してもらいたい。地上部分に着眼するか・地下部を利用するか、その差でしかない。
しかし、その力点の置き方に沿い、列島の農家は長期に亘って品種改良・種子選別を積重ねて来た。
その結果、”ね”と”な”として。全く異なる種類の野菜に分類され・確信されるに至った。
伝統野菜・地域野菜など在来品種化したもの、それがカブであると考えたい。
ヒッチェカブは、小国盆地一帯の広さに自生することで、自らの本来の性格を再現している。遠く地中海からやって来て後に野菜化した随伴雑草であることを物語っているようだ。
しかし、広大さにおいて列島随一なだけで、唯一ではない。
ここでアブラナ類<カブを含む>が自生する例を、紹介しておこう。
八戸市蕪島青森県)のカブ・新潟県の弘法菜(大崎菜・大月菜・水掛菜とも。南魚沼郡など)・舳倉島のナタネ(へぐらじま 石川県能登半島の沖)・御崎の平家カブ(みさき 兵庫県城崎郡香住町御崎海岸)・佐波賀カブ(京都府舞鶴市)・菜種島のナタネ(鳥取県浦富海岸)・正月カブ(島根県仁多郡)など、ほぼ列島全域に及ぶ。
八戸市蕪島は、特に有名だ。戦前現地調査した牧野富太郎は、ノラナタネと命名した。ノラナタネは、カブの原始型であるとする説<シンスカヤ女史>もあり、島の名に因んでカブとしても良さそうである。この蕪島を除けば、いずれの自生地も日本海=東アジア地中海を臨む地圏である。
カブ総集編の続き=形と色について概説する。
まず形だが、大きく分けて、長細い・円錐形・丸型に3分される。
長カブは、細く長く・肉質が硬い。遠野カブ(岩手県)や山形県に多い。
小国ヒッチェカブ(上述の西置賜郡小国町)・高湯(山形市蔵王温泉)・牛蒡野(ごぼうの、尾花沢市牛蒡野)・次年子(じねご、尾花沢市次年子)などがそれだ。最も原始種に近いとされる。
円錐形は、中部地方に偏在する品種。検察ドラマで知られた高山カブなどの系統であろう。筆者は庄内地域を旅行している時に、藤沢カブの漬物を偶然入手したが。おそらくこの類いだ。
因みに、藤沢は、鶴岡市に生を享けた時代小説作家=藤沢周平の故郷で。この街は今や映画産業に特化し、観光地化・学園都市化が著しい。
丸カブは、改良完成型と考えられる。商品カブの多くがこれである。曰く温海(あつみ、鶴岡市温海温泉)・笊石(ざるいし、青森市)・河内赤カブ(福井県)などがよく知られる。
次に色分けだ。有色(紫や赤)と白色の2分類だが、一般に有色カブは糖分含量が多く、よって耐寒性に優れる。日本海寄りの山間地は、多降雪かつ根雪化する地帯だから、貯蔵面でも優れる有色カブの栽培が好まれた。
筆者の足元=北陸・金沢に「カブラ寿し」なる銘品がある。”寿し”と呼びながら、鮨ではなく・漬物である。白カブを使う。京都の千枚漬けもまた白カブを使う。
ところで、金沢は、3月14日の北陸新幹線延伸開業に向けて、活況を呈する”息づく江戸時代”の古都だが。この「カブラ寿し」なる命名は、多分に詐欺的である。大きな白カブに・ごく小さな鰤の切り身が挟んである。
主役たる魚名に因んで”ブリ寿し”と呼ばなかった理由は何か?と言えば、江戸時代は身分による規制が厳しく、武士以外の者が、ブリを口にすることは難しかったのだと言う。
金沢の庶民が、安心して堂々と口にできたのは、「だいこん寿し<魚は身欠きニシン>」であり「サバ寿し」である。
ところで、カブを金沢人は「カブラ」と呼んでいるが、何故だろうか?
と言うのは、カブラ・ラインは、概ね敦賀湾の最深部から伊勢湾の最深部を結ぶ線を以て東西に分けている。
カブを、ラインの東側はカブと呼び・西側ではカブラと呼ぶ。言わば呼称境界線だが、金沢はラインの遥か東に位置する。「カブラ」呼びでは例外となる。京都人の口真似であろうか?
もちろん、カブラ・ラインは、蔬菜研究上の境界線でもある。
東側では、西洋由来品種が多く栽培され・西側では、世界中でもこの列島にしか見出せない固有和種系統のカブが栽培されている。勿論カブはどっちも外来種だが、和種は伝来後に突然変異したものであろう
カブの話は、これくらいにしておこう
さて、小国の地名が出た以上、避けることのできない最低限の断わりを述べておきたい。
現・山形県の内にして、旧・米澤藩領内であるが、最上川水系の外に位置する特異な場所だ。
北に朝日岳・南に飯豊連峰、二つの高山から流れ出す荒川と玉川・横川は、荒川に合流した後。新潟県村上市付近で日本海に注ぐ。小国盆地の中心を川が流れ、川が造る低地をJR米坂線と国道113号<古くは越後街道。反対側から米澤街道と詠んだ>が貫く。四方を高山で囲まれ、その内陸・奥地性が特徴の第1である
朝日岳と飯豊連峰の間を結ぶ高山帯(=山形・新潟の現・県境)ラインは、小国盆地の西を通るが。
分水嶺は小国盆地の東にある。分水嶺を本来あるべき境界とすれば、小国は新潟県に属すことになる。
この町を囲む高山群の生成地層は褶曲・断層系で、主な地層は花崗岩から成る。豊富に多種類鉱石を産出する(山形県は鉱産物博物館とされる)こともまた特徴である。
去る夏筆者は、草木塔研究家=健沢先師の案内で、この地の樽石峠をマイカーで越えた。南東方向に飯豊連峰を仰ぐ眺望絶景の孤立峠だ。
老年期山地の花崗岩地形は、崩壊しやすいらしく。”たるいし・峠”なる地名は、それに符合する。だからこそであろう。周囲の山容は見渡す限り、山菜育成緑地と見事なスケールのブナ樹林帯である。これで土石流への備えはまず十分と見た。
このような県民性とも言える賢明さは、小国町史をざっと眺めて、追認することができた。
この地に”こしおう”神社がある。
古四王神社・古志族・太古のイネ=古志種へと記述が及び、その主張は極めて明快であった。
古志族は、古志種のイネを携えて列島に渡来したツングース遊牧民にして・高句麗亡国期に漕ぎ出した戦乱難民である。と理解したが、地域史として先進性を備えた・出色の出来栄と感じ入った。
因みに、”こしおう”神社は、古四王・胡四王・高志王・腰王・越王などの字を当て。新潟・山形・秋田・岩手・宮城・福島に分散居住した蝦狄<カテキ>が祀ったものとしている。
蝦狄<カテキ>は、蝦夷<カイ>と同じく古代中央王権から蔑視され・制服対象とされたが。鎌倉時代以降その区別の意味が失われて、エゾまたはエミシとして括られてしまったようだ。
この地の住人を高く評した者に、かの女流英国旅行家イザベラ・バードがいる。
その理想郷アルカディアの入口に小国盆地は位置する。
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小国町史・1966小国町発行にアクセスするにあたり、野々市市図書館のY女史に専門的指導を受けた。記して感謝の意を表す