泉流No.95 ふきのとう

* いやにはや  サクラ求めて  ふきのとう
[駄足] 東北に桜を訪ねての遠来の旅は、最初の足がかりたる狙いめの岩手・平泉が時期未だしとばかりに、空振りであった。この句は4月27日に作った。
内陸地域の桜前線は、海岸沿いに大きく遅れる。前線のカタチは水平ではない、胃下垂状態になっている事を身を以て体感した。
そうと決まれば、桜前線に出会うべく、南下するのが、本来の採るべきリカバリー策なのだが、、、、
団体旅行となれば、当初日程と宿泊予約なる制約があるので、それに従わざるを得ない。
平泉を早めに発って、南でなく北に向かう。
宿のある温泉地まで、少し膨らんで行く事にした。思いついて遠野を目指す事にした。
高速道路を避けて、なるべく最短コースを選び、機械ナヴィと助手席ナヴィとの組合わせにより、運転役は奴隷のような忠実さで、国道から県道へと目まぐるしく変る道路番号=ロードサイドに立つルート・No.・プレートを読み上げながら、ひたすら走り続けた。
忙しく、そして、実りの乏しいドライブに終始した日であった。
種山高原を越えて、遠野を含む低地ゾーンの端っこに辿り着いただけであった。
タイムアウトの夕暮れ風景を眺めながら、未知の土地では高速道路走行に傾く、世間知恵も必要なのだと反省した。
遠野は、名のとおりに遠かった。
[駄足の蛇足] ロードサイドに、ふきのとうが見える時季に、桜の開花を願う事は実に難しい。
おとぎ話の花咲か爺さんのスーパー・マジックをもってしても、桜を咲かせることは無理だ。
この地は未だ早春なのだった。
遥か昔の知見を思い出した。岩手県は、この国最大の面積を誇るんだったなあ、、、、
アトのマツリとは、空しいものである。
さて、これからが、粘り腰だ。
まず結論から述べよう。
機械ナヴィも助手席ナヴィが手にする道路地図も、ともにこの国で買い求めた市販の普通品だ。
どちらもロクなものではない。代わりがないから、止むを得ず出費している。
大量生産・無駄金浪費社会の現代に、なかなか馴染めない哀れな老人になりつつある。
では、これ等のグッズは、どの点においてロクなものでないのか?
多くの人は、その答えが、おそらく見つからないでしょう?
次にその答えを聞いたとして、かなりの人が、たやすく同意しないことであろう。
さて、答はこうである。
水平距離に絞り込んで、単純化し過ぎていること。そこに欠陥がある。
自動車走行も含めて移動情報には、垂直方向の空間情報が備わるべきである。
要するに、水平距離と到達時間のみのサービス提供では、高さ情報が欠けるから、ナヴィも道路地図もロクなものではないのである。
標高の高い道路になると、降雪・積雪が伴うから、スノウ・タイヤなど装備問題が追加される。
その昔、遠来の客が首都圏に急ぎ帰る必要が生じたことがあり、途中まで2台連なって走った事があった。
登りにかかる坂道の手前で冬期閉鎖の立て看板を見て、落胆し・立腹した。立て看板は、幹線道路との分かれ目に立てるべきものである。
でも道路管理者は、おそらく申し開きするであろう。
きっとこう言うであろう。
そんな事、この地域の住人は、みんな知っている事=常識だよ、、、と
何故なら、国道と、県道と、市町村道とに区分され、管理者が異なるからである。
そんな面倒くさい、コストのかかる3層構造に、意味があるとは到底思えないが、、、、、
この国の納税者は、何ら異議を唱えない。行財政は既に破綻しており、あのメディアが報道するギリシャ以上に国債と借金は多いのだが、、、、
その時も、ナヴィは何も言わなかったし、道路地図にも注意表示はなかった。
設計・企画の段階で想定しなかったものは、以後長く無視され続けるもの。それもまた、システム界の常識である。2チャンネルだったか曰く?ネット文化には、何でもありだとか。ナヴィ&地図界も似たようなもの。
大量生産・無駄金浪費を常識とする現代社会の悪弊は、単線と直行を旨とする拙速の”大きな物語”をひたすら指向することにあるのではないか?
地震と大津波がきっかけで、”人類の未踏・最先端の大型の物語である原子力発電システムは、当初から内在していた欠陥をついに露呈してしまった”。殆どの人がそれを認めるだろう。
真に廃炉に向かうべきは、当為として。ベースにある”大きな物語”はやめられるだろうか?
大きな物語”からの離脱を、財界人や金融界や、アメリカンユダヤどもに、どうやって説得しようか?
判ろうとしない者に、判らせることは至難である。
さて、ドライブに必要な情報は、X・Y・Zの3方向である。上り下りの標高情報も表示するとなると、外国にはマイナス記号が付く水面下の土地もある。
では、Zは?どのような具合になろうか?まっすぐ往け・Uターンしろだろうか、、、それとも天国だ地獄に行けと言うだろうか?
やれ右だ・左だとのみ言われ慣れているアナタに、果たして答えになっていたでしょうか