深解広説俗流事典No.1

*No.1 しかくしめん
突然想いついて今日から新シリーズを始めることとした。
題して深解広説俗流事典とする。
これもまた思いつきだから、いつまで続くか未来の事はとんとおぼつかない。
例によって、詰らない事をおんぼらあと述べるが、致し方ない。そんじょそこらにあるものなら、インターネット検索か,国語辞典を引けば一旦?解決。
がしかし、個人の想いつきに発する類いのモノは、想いついた当人が説明するっきゃない。
と言いながら、その当人は説明できないと思ってる、説明なる言葉がいささか重過ぎる。
ブルッと寒気がくる、明=あきらか・・・に抵抗あり。
ま、説明には程遠いが,解説くらいなら努力したい。
これは事典であって辞典ではないのだが、のっけから「詰らない」と予め断わっておきながら、説明と解説ではどれくらいどう違うのかなどと、実に詰まらない辞書講釈まがい?の脱線転覆。
でも,判る人にはもうおんぼらあと判りかけているのではないだろうか?
なんせ、解説の前に意味深長な修飾語が分割分離して配置されている。
”深く解いてかつ広く説く”  そんなこと無茶苦茶だ。
広いと浅くなる、深けりゃ狭いのが道理で、”深く広く”では、反道理のホコダテ=この鉾であらゆる楯を突通せる。この楯はあらゆる鉾を防ぐことができると独りの商人が並べて商う故事?に由来=シンドローム<病的症候群>だと、この筆者は考えない。
拙速・効率のカルタゴパラダイムに慣れきったシマグニ人にはおそらく受入れられまいスケールの駄作と思いつつ、この新シリーズを始めるのだが、ここまで読んできて、筆者が予め断わった「詰らなさ」加減が理解できない読者は、もう読まない方がよろしかろう。
そのようなタイプの人は,一言で言えば”お受験エリート”で、受験英語スタイルを6〜8年続けても実用英語に達しなかったグループに属する多くの人だ。
シマグニ・エリート・シンドローム族は、圧倒的マジョリティーとして引続き安住し続けるから、当分の間、ホコダテ・シンドロームに接近する懸念はない。
それにエリートの証明として、冗長に耐えるエレガンスさは備えても、ただ惜しむらくはシマグニの外で通用しないレベルでしかないことくらいだから、まいいか
以上が、新シリーズ開設に関する実に「詰らない」創刊の辞である。
No.1  しかくしめん
記憶によれば、関東地方の民謡の唱い出しに,『・・・三角野郎がしかくしめんの櫓の上で・・・恐れ入る・・・』とあるようだ。
盆踊りの櫓なら下から見上げたことがあるが、台上が方形かどうかは定かでない。そのようなライトを浴びた体験がない、ありていに言えば音痴族には今後もないであろう。
櫓が四角四面であるかどうかは櫓を作る大工さんにでも聴いてみよう。
著作方針としては一応体験をもって語るベしであり、足を使って書けとの己に対する戒めなのだが、それと出来具合、読めるかどうかは自ずから別ではある、、、、
ここで念のため、広辞苑を引いてみた。
見出し語があった。   がっかり
なんせ事典だから、辞典に載っていないことが前提だと想い込んでいる。
ひと呼吸して、やはりいささかがっかり、それで急遽方針転換だ。
深解広説俗流事典のテーマは、辞書に見出しが無いことが望ましいまで後退させる。がしかしその場合は、二つ以上の言葉を並べ、互いの微妙な関係を抉りだすようにする。それでもって事典の体裁を際立たせることにした。
広辞苑によれば、四角四面はしごくマジメ、きわめて堅苦しいとある。簡にして要を突く、なんとカルタゴシンドロームに叶った説明であろうか、実にムダがない。
『八木節』の意味が、ここに来てやっと少し判りかけてきた。三画野郎とマジメでは、かなり相当に無縁ではある。
しかくしめんの構造物は、マジメや堅苦しいことの象徴的であったのだ。  一旦は納得した、、、、
だが腑に落ちない、 やはり、判らない、、、、
むしろ逆だ。形としての四角は、ありふれている。
立体としての六面体、地上に置く場合は底面を省くだろうが、本、パソコン、食卓、クルマ、家、田畑などなど、どこにもあるありふれたカタチだ。
確かにありふれているが、いずれも人工物であって、自然には見当たらないものだ。
「自然界にない」とまで明言するのは、先ほどの体験重視自己規制宣言の手前、とても危ないのだが、このフレーズは耳で聴いて納得した体験があった。
そのフレーズの出所は尹熈倉<美術家、多摩美術大学>先生であった。
先月地球研で行われた里プロジェクト:人と自然:環境思想セミナーの最終回に出演した際のことだ。
彼の幅広くかつ奥深い(=大英博物館に約3ヶ月間も籠って所蔵数20万点の中から四角い形のものを網羅的に抽出した彼の着想と行動を指す)体験を踏まえてのレポートに基づいている。
しかも、彼の行動はリサーチだけではない、六面体造形の創作活動にまで及んでおり、より実践体験的である。
以下は、筆者の体験に基づく観察と感想だが、日々畑仕事をやりながら、四角のカタチに閉じ込められる苦痛を味わっている。
ワークする環境としての四角形は、合理性を欠くカタチである。ありふれているからこそ困るのだ。
働きにくい、あってはならないカタチである。
では代案は何か?
ある、それは六角形である。
内側に居てワークするにふさわしい、より合理的なカタチは六角形である。
筆者は、そう信ずる。
この2〜3年畑で汗をかき、その体験を踏まえた後に尹先生と対話する中で,このことに気が付いた。
そして、ハニカム=正六面形は、自然界にも存在する。
四角形は、おそらく自然界に存在しないであろう。
だからこそ「しかくしめん」は、過度にマジメで堅苦しく、ワークにふさわしくない環境であるのだ。
きょうはこれまでとします。