じじぃばくだんNo.6ー雪は降る

この3日間、朝は雪を掻くことに励んだ。近年に無い雪の降り方だという。天気予報は当るとも外れるとも、そしてどっちでも、またどちらでもないようだ。つまり、どうでも良いことなのだが、、、、何が無くとも天気誉め、、、、と言うくらいのものだ。
まあ、他人に出逢ったら、口数多く、しかも当たり障りの無いことを、連発するくらいの気遣いが欲しい。とまあ、これくらいがこの国のKY<ケーワイとは、空気を読むだが、読むだけでは駄目。セールスで不要な物を売込むか、競争相手より劣悪な物を押込んで売る場合は、KD=空気をでっち上げるくらいのパワーが要るそうだ?>
長期天気予報では、暖冬と発表していた。大雪と暖冬とは、並立するか、互いに排除する天気事象なのかは、浅学早慮の凡才には判らないから、この点で外れたとも当ったとも決めかねる。
天気は、予報がすべてとは想わないことにしている。過去の天気事象を理解すること自体、高度な科学だと想う。
だがしかし、天気予報となると、科学の領域と即断できない。技術ではあろうが、錬金術に近いのではなかろうか?錬金術なんぞ、いささか古い話と想われるかも知れないが、宇宙開発のすぐ隣にある極めて現在進行形の話題だ。宇宙開発にロマン溢れる夢があるかどうか定かでないが、対占領軍思いやり予算なんぞと同じ類の無駄使いである。
錬金術師は、KDの達人で、時の権力者や金持、つまりスポンサーに取入って研究資金なる名目の蓄財原資を上手に捻り出したわけだ。
金融工学などというノーベル経済学賞絡みもこの類いではないだろうか?
ことさら理解しにくいように脚色する、さも程度が高いように偽装する、高等数学なる仮定空想の論理を装う、これらのテクニックはレーガノミックスと時も動機も効果も全く共通だ。
気象庁は、先般、開花予想を来年から取りやめると発表した。長年やって来て、メディア・ネタとして、期待する向きがあったらしい。
ここに来て止めるのは、それこそ事業仕分けされたのかも知れない。
数ある花の中で、桜だけを特別扱いする意味は?などと言い出すと、お上の意向に異を唱える不届きものが、、、と言う時代ではない。お上の威光と書くんだったカナ?
サクラは、歌舞伎ネタか、大道での口上売人か、既に死語になった旧軍のシンボルマークくらいしか想い浮ばない。
某国営放送のラジオ体操と同じで、賞味期限も消費期限も切れて久しいようである。開花予報に限れば、何故か開花の初日は、休日の前日前夜に集中する感があった。行楽のプロパガンダを気象の役所が引受けて、GNE押上げによる景気刺激に貢献?
ここにも「KD御用官僚」が居たか?ニッポン。科学者集団の官庁だからそんなことがあるかと想いたいもの。
厳冬期の晴天なので、散歩を兼ねて、神社参りに出かけた。雪道に足を取られ、車に気を使い、散歩の雰囲気ではなかった。
車道の横に歩道のある所は、努めてラッセルに励んだ。結構汗をかいた。歩道上に駐車している乗用車には、いささか腹が立った。
どこも車道は、アスファルトが黒く出ている。勇気ある人は、車道を歩くようだ。クルマの方も歩行者にKYするゆとりは無いと見えて、びゅんびゅん走る。見るからに、勇気が要る。
宇宙開発や洋上給油に使う金の数分の一で、行政は、歩道の除雪を行えるのではないだろうか?
もちろん、その車道だって、行政が除雪したかどうかは知らないが、見た目、4分の3シーズン使用可能歩道とフルシーズン稼働の車道との対比が際立つのだ。
納税者としては、今まで金が付かなかった分野に対しても、目配りするような事業仕分けであって欲しい。
現行の3割行政では、人件費コストばかりに食われて、真水の事業に使われるカネが少な過ぎる。
中央集権制は、民主主義にそぐわない制度だ。
行政3層・各段階3割分担支出。世界標準の100パーセント市町村担当に比べて、なんと無駄な経費がかかることか。複雑で、コスト高で、時代遅れだ。
要望して、諦めた頃に事業着手が始まる役所仕事。責任の所在が曖昧模糊とした3バカ行政集団。これがこの国の常識かと驚く。
官製談合を許す土壌をも築いて来たのだ。現実の作業現場と予算配分が最終決定する中央と、距離が遠いことが、密室を許す元凶なのである。
これからは、10割行政にして、眼の前の事業は、眼の前の役所単独で決めることにすべきだ。事業の全プロセスが、誰の眼にも見えて、聞えるようにしたいもの。とにかく、安く、早く、シンプルなプロセスに徹することが民主政治なのだ。民主的でない政治にならされ、愚民に成り下がっていることを止めよう。
140年前の仕組を、与件と受止めたり、固定不動のものと想い込む体制翼賛から脱して、より良いものを創造的に作り上げるべきなのである。