じじぃせんりゅう No.8

* 学ぶべし  東も西も  お互いを
[じじぃのヨコ読み]
世上に”黄禍論”とか、”名誉白人”なる。現在では半分死語化したフレーズがある。
コトバは歴史の記録である。そのコトバが担う世界観なり評価観想なりが存在した事の証明である。
まるで考古学者が、深い地層のなかから掘出す化石のような存在であって、そのフレーズが語る過去を将来に向かって消去することはできない。
歴史認識と言うことは、即ちそのような事であろう。
先週南アフリカマンデラ氏が亡くなった。
偉大な業績を築いた巨星が落ちてゆく喪失感を味わった。
突然、ここでマハトマ・ガンディーのことを思い出した。
遠いアフリカのマンデラとより近いアジアのガンディーとは、その指導の聖性を伴った卓越性から、人類史上5指に満たない希少リーダーであったことを思い出す。
二人とも苦境の中から民衆が起ち上がる歴史時間にたまたま遭遇した。
このような場合、長い苦しいくびきから脱した瞬間の大衆は、まず報復を思い浮かべる。その錯誤観想から生ずるであろう悲劇を未然に解消する方向に誘導し,成果を得た二人。そこに真のリーダーとしての聖性を見いだす事が出来る。
では、聖なる指導者を生む前提となった民衆の不幸は、いつ? どこに存在したか?
その不幸または民族の苦難はどのような事情から生じたか?
そこに冒頭のフレーズを掲げた背景がある。
吾が足元=日本列島は開国へと踏み出した時に、文明開化なるスローガンに飛びつき・根本的な価値評価を怠ったまま。実に安易な方向つまり仮想紳士国を目ざすべき理想社会に仕立て上げて、そこへ最短時間と最小努力とで追着くべく、ひたすら模倣に邁進しただけではなかったか?
そこで形成され近過去と現在にみる国民性は、下記のような軽佻浮薄なものであり・冒頭のフレーズを疑うことなく受容する愚民を簇生した。
近い未来を誰よりも素早くキャッチして、流行の最先端を走ることを実践する生き方。
それは早発性化石症候群病患だが、メディア過剰・浪費煽動の環境から当分の間抜け出せないであろう。
それも実のところは、筆者と極めて対蹠的人物像なのでよく判らない。
まあ、そんな事情だから、この足元の地からなお暫くの間,真のリーダーは現れないであろう。
[爺ぃのナナメ睨み]
真のリーダーを生んだ地は、南アフリカ<苦難からの解放後は連邦へ>とインド<植民地解放後は、スリランカパキスタンバングラデシュインド共和国など覚えきれない多数の複雑な構成国へ別れた>である。
模倣の対象とされた仮想紳士国とは、グレート・ブリテンとかユナイテッド・キングダムとか言う。
このユーラシア大陸の端に突き出た小さなシマグニが、南アフリカとインドの民衆を苦難に落した。
紳士とはほぼ正反対の立場を貫いた、この悪魔のような島国が残した爪痕は、未だ過去形で呼ぶべき存在ではなく・明らかに現在進行形である。
足元の列島から最も近い空間に位置する廻廊半島は、未だに分裂状態にある。間違いなく過去の植民地状態から実質的に脱け出せていない。
だから、歴史認識とは、過去のことを指してはいない。
現在進行形の課題として、共に当事者の一人として解決に向けて歩みだすべきである。