いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.12

やはり、この世の中はうまい話ばかりではなかった。
退院した日の午後、病院から自宅の2階建て借家=別名・兎小屋一軒家に還る途中、パートナーは仲介不動産屋と示し合わせていて・・・
車を少しだけ遠回りさせて、築25年程経過したブロイラーハウスを見せられた。
ブロイラーハウスとは、今住んでいる建物のことだが・・・
昔風に言えば、下駄履き長屋。今風に言えば、割高の中古マンションである。
一応意見を求められた。
病体のホネ五郎に、Yes Noを述べる市民権は既に無かった。
パートナーの意を忖度<そんたく>して、ほぼ追認した。
吾が金の方も、事実上の管理は久しい昔から、あちらの手に移っていた。
唯一、条件をつけた。
来るべき売買契約は、当事者だが立会いはしない。代理人に息子を頼んでくれ。
頼まれた息子は、東京からわざわざ出張って来て、何事も無くスムーズに済んだらしい。
傷んでいる水廻りをリフォームした。なんとその工期は3ヵ月も係った。
介護保険金の還付対象となるとのことで、図面を引いたり、申請から決定までの間は、着工できないなど、保険なる本来民間マターの相互扶助の仕組が、この国では、行政が窓口として一方的に強権的に仕切る官製談合型の制度保険と化してしまっている。
保険は外来文化である。横文字で書かれた保険システムが、翻訳されてタテ文字化して導入された時には、もうお上の独占的な保険事業と化しているのであった。
公法の下、強行規定で処理する私法事業なんぞと言う鵺<ぬえ>的な仕組が、この国では常態化してしまっていたのだった。
とまあ保険はさておき。前稿でも述べたが、降雪時の除雪作業なる共同体規制から逃れるため、ウサギ小屋を逃げ出しニワトリ小屋へと住まいを替えた。
目出度し、メデタシとはいかなかった。
前門のトラは回避したが、後門にオオカミが待っていた。
県庁の足元にして・高名なる文化都市でオオカミが待つとは、全く予期しなかった。
オオカミとは、資源ゴミ収集場所の立会い監視業務がおっ被さってきたことである。
ウサギ小屋の借家時代にも、その仕事はあった。そこに居た足掛け6年ほどの間、その町ではシルバーさんが、一括受託していたから、事実上の輪番義務から免れることができていた。
ウサギ小屋から僅か車で20分と離れていない、転居先のブロイラー小屋の街では、旧態然とした各家への輪番制が敷かれていた。
そうだ、古都カナザワは、そんなに人事が易しくない。
新参者が取付くシマが無いほど、古態が厳然と残っている。
現行のパラダイムは、未だにやはり百万石精神らしい。江戸時代の石高制が生きている。
ここで観光促進ユルキャラの『ひゃくまんさん』を憶い出して欲しい。
地域念願の新幹線が開通したが、当人?の出番は、鉄道に限ればほぼ無い。
そこが何とも間が抜けている。
そんな役に立たないモノを公費=高費を支出して製作した。
ネーミング同様これまた間が抜けている。
何故そうなるか?アトで聴いた。
ベースが”おきあがりこぼし”だから、スカート部分が硬い素材で造られている。
そのため、鉄道の改札口を通り抜けることも・新幹線車内に立入ることもできない
実にアホらしく・間が抜けている話だ。
少々脱線した。
資源ゴミを集めてリサイクルする。
何時頃始まった運動かは、判らないが。精神において、非の打ち所は無い。
そのスタートした時代は、各家庭が3世代同居とか・専業主婦在宅とか、どこにも若さに溢れていた。若者の深夜労働など考えられない社会であったかも。
だがしかし今は、少子高齢を突き抜けて、老人孤住のお独りさま時代である。家がイエの体を為していない。どこにも若さは失われている。もう根本から見直すべき時期に入って既に久しい。ただ漫然と先例墨守が続いているらしい
さて、我が家の立会い義務は、新入り・新参者の定位置である厳寒期=正月のトップの早朝と決められた。
早朝6時半から8時半まで、雪の朝になるか?それとも強風が吹き荒れるか?
しょうがない、何らかの防衛策を捻ろう
そうだ。『ひゃくまんさん』を借出して、防寒着兼用プロテクターにしようか
ムリ・ムリ、おそらく貸してはくれまい
吾がカナザワは、そんなに人心が易しくないなあ。無理だろうよ